見出し画像

【SSW10:STORY】夕暮れシンガーソングライター・nari

関東を中心に活動しているギター弾き語りシンガーソングライター、nari(ナリ)。音楽一家に生まれたわけでも、幼少期から楽器に親しんできたわけでもない彼女が、シンガーソングライターを志し、「音楽の道をきわめよう」と決意するに至った物語とは。

音楽で遊び、傷つき、救われた青春時代

神奈川県横浜市で生まれ、埼玉県川越市で育ったnariは、歌うことが好きな子どもだった。「叔母がカラオケボックスの経営者だったので、長期休みのときは、しばしば遊びに行きました。流行りのアニメの主題歌などを歌っていた記憶があります」。

また、祖父が運転する車のなかで、フォークや演歌、ニューミュージックなどをよく聴いていた。「エンドレスで流れていたので、刷り込まれましたね。さだまさしさんとか」。

だが小学校高学年になり、音楽発表会でソロを歌う役に立候補すると、思いもよらないことが起きた。

「クラスのみんなから、『へたくそなんだから歌うな』とブーイングされたんです。ショックで、すっかり自信をなくしてしまいました。そのまま中学校に上がって、部活を選ぶ時期になっても、『もう音楽に関わるのはやめよう』と考えていました」。

とはいえ、心の奥底には、音楽への興味が残っていた。

仲の良い友達から「一緒に吹奏楽部に入ろう」と誘われたこともあり、入部。トロンボーンを担当した。

「吹奏楽部の顧問の先生は、私の恩師です。音楽の楽しさを教えてもらいました」と、彼女は懐かしそうに目を細める。

「部活だけじゃなく、有志の合唱団の活動に誘ってくださって。私が『やってみたい』という積極的な気持ちと、『みんなに下手って言われたしなぁ』という消極的な気持ちの間で迷っていたら、『そんなこと関係ないじゃん。自分がやりたいか、やりたくないかだけでしょ』と言い切ってくださいました。先生と出会ってなければ、今も音楽を続けてはいないと思います」。

もっとも、当時のnariにとっての音楽は、ごく普通の中学生らしい趣味にすぎなかった。吹奏楽部や合唱団の活動を楽しみつつ中学、高校と進学し、さらに大学では国際協力学を専攻する道を選んだ。

「幼いころにマザー・テレサの本を読んで以来、『国際ボランティア』に興味があったんです。卒業論文では、発展途上国の保健事情について書きました」。

だが、大学4年生の夏を過ぎても、就職先が決まらなかった。

「就職活動の成果が出なかったので、看護学校へ行くことにしました。資格を取って、海外でボランティアをしたかったんです」。

しかし翌春、看護学校に入学すると、『まずは目の前の患者を看なければならない』という現実の壁にぶつかった。

「『私は、こんな辛い思いをしているひとに優しい言葉をかけられる人間じゃない』と思ってしまいました。自分にはその資格がない、と。結局、半年で退学してしまいました」。

それからしばらくは、精神的に辛い時期が続いた。

「上手くいかないことが重なって、病んじゃってましたね」。

画像2

24歳のとき、「社会復帰のためにリハビリしよう」と思い立ったことが転機になる。「相変わらず歌うことは好きだったので、『カラオケが上達したらいいな』と思って、ボイトレに通うことにしました」。

軽い気持ちで始めたボイストレーニングだったが、本格的な指導を受けるうち、「歌ってこんなに楽しいんだ」と感動を覚えた。

また、講師から「オリジナル曲を作ってみたら?」と背中を押され、作詞作曲に挑戦。同時に、ギターを弾き始めた。

「実は、ずっと前からギターは持っていたんです。ゆずが好きだったので、憧れて、大学生の時に買っていました。でも全然弾けなくて、ちょっと触っては止めるのを繰り返していて。そんな話をしたら、先生が『持ってるなら使えばいいじゃない』と言ってくださったんです。最初は独学でしたが、今は、先生に教わっています」。

歌を習い、曲を作り、ギターを練習する日々のなかで、nariの心に灯がともった。「私は、色んなことを中途半端にしてきました。看護学校の件だけでなく、大学生のときも、中国に一年間留学する予定だったのに、途中で嫌になって帰ってきてしまったり。だからこそ、一つでもいいから、この人生で『やりきった』と言えるものがほしいと思ったんです」。

『音楽を続けていこう』『絶対に突き詰めよう』と決意した彼女は、2019年ごろから、音楽活動を本格化させていく。

音楽という表現で、恩返しをしていきたい

ボイストレーニングを始めてしばらくの間は、スクール主催の発表会に出演する程度だったと言うnari。

「自分でライブハウスを探して、出演させてもらって…っていう勇気がなかったんです。でも『やってみたほうがいい』という意見をもらって、まずは近場のオープンマイクに参加してみようと決めました」。

あちこちへ足を運ぶうちに、幾つかのライブハウスと縁がつながり、現在は月に2~4本のライブを行うまでになった。特に、さいたま市南浦和のライブカフェ・宮内家には、毎月コンスタントに出演している。

19年7月12日には、代表曲の『横浜』を収録した1st CDを発売。ジャケットまですべて自分で手掛けた名刺代わりの一枚だ。20年9月には、ミュージックビデオをYouTubeで公開した。

今後の目標を訊ねると「夢は大きく、横浜アリーナでライブをすることです」と声を弾ませる。

「水樹奈々さんなどのアニソン系ライブを観に行くたび、ペンライトの光の渦が綺麗で、うっとりしてしまいます。『これをステージから見たら感動するだろうなぁ』と、憧れています」。

夢を叶えるためにも、より多くの人に自分の曲を聴いてもらう方法を模索中だ。「ライブを増やせば、自然にお客さんも増えていくと思っていましたが、意外とそうでもありません。コロナもありますし、難しいですね。試行錯誤のひとつとして、YouTubeに動画を上げています。もしかしたら、今後、ライブ配信などにも挑戦するかもしれません」。

編者の「どんな人に聴いてほしいですか?」という問いには首をひねった。

「私が音楽を好きになったのは、自分が嫌になったとき、支えてもらったという部分が大きいです。だから私も、困っている人の支えになったり、あと一歩を応援してあげられる歌を歌いたいんです。挫折って誰もが経験しますよね。だから私は、私の歌を聴いてくださる方の年齢とか、性別とか、絞らなくていいと思っています」。

また、これから音楽を続けていくうえで、やりたいことがあると言う。

「これまで色んな人と関わって、たくさんの人に助けられて生きてきました。これからもそうやって生きていくと思います。ただ、私は人付き合いが苦手で、喋るのもうまくありません。だからこそ、音楽という表現で、自分なりに恩返しをして、感謝を示していきたいです」。

彼女のキャッチコピーになっている『夕暮れシンガーソングライター』は、かつて対バンしたミュージシャンが名付けたものだ。

「Taikiさんという方が、ライブ後に私のことをそう呼んでくださいました。いいなと思ったので、使わせていただいています」。たしかに、温かくも愁いを帯びた声とフォーク調の楽曲にぴったりの肩書である。

nariがこれからどんな景色を見つけていくのか、見守りたい。

text:momiji

INFORMATION

代表曲『横浜』をはじめとしたオリジナル曲を収録。音楽活動を本格化させていくにあたって制作した1st mini mini Album。2019年7月12日リリース。全3曲、¥500 (税込)。
2021年春、2ndCD発売決定! 乞うご期待!!

関連記事


お読みいただき、ありがとうございます。皆さまからのご支援は、新たな「好き」探しに役立て、各地のアーティストさんへ還元してまいります!