ひろし

大学院。

ひろし

大学院。

最近の記事

2025年8月

DIC川村記念美術館の閉館が決まった。本当に悲しい。 日本で一番好きな美術館だった。訪れる頻度は決して高くなかったが、美術というものが世界の中で意味があると確かに思わせてくれる、自分にとっては大切な場所だった。 東京はクソだ。 どうもこの都市に馴染むことができていない。 上司や同期に比べて能力の点で大きく劣っているとは思わない。 それでも最後には俺が負けるだろうという感覚がある。 俺だけが都市生活というものにうまく馴染めていないからだ。 東京という都市に対して、なんと

    • 6年間

      明日から社会人になる。 この機会に大学4年+大学院2年の学生生活を振り返るのも悪くないだろう。 正直まだこの6年間に価値判断を下すことができない。やりたいことをやれたし、非常に「成長」できた気がする一方、最終的なアウトプットには大いに不満がありうまくいかなかったことも多い。 B1 高校時代はうまくいかなかった。その最大の要因は構造的なもの(中高一貫男子校にて、中1~中3を別の学校に通った)に起因すると思うが、結局最後までそれを乗り越えることができなかった。部活も無責任な

      • 11月

         修論がやばい。が、意外となんとかなりそうな気もする。この未決状態が気持ち良くて、これから本格的な冬が来ることを言い訳に京都市内を巡る日々を送っている。そのせいか非常に太ってしまった。  京都市内でどこかに行こうとなると、まずは寺社仏閣である。 京都で学生生活を送る者のほとんどが半年もすると寺社仏閣に辟易するのに対し、自分の関心の強度は持っている方だと思う。  これまでの国内旅行に関しても寺社を目当てとする旅は多かった。 自ずから自分は国内の寺社仏閣をかなり回っているのでは

        • 2024年10月

          忙しい。 インターンを週に30時間近く、加えてバイトを週に5時間ほどしている。 修論もかなりビハインド気味である。インターンの勤務が終わったあと、20時過ぎに吉田山を駆け降り、深夜まで研究室で研究をする(ふりをする)生活を余儀なくされている。 ありていに言えば生活が充実している。この充実というものは、現在だけでなくある程度の未来まで進展している。就活は少なくとも失敗していない。就職後東京に戻っても友達がたくさんいる。内定同期との関係も現状良好である。労働の対価として、可処

          インド120日目(Amor Mundi)

          ハンナ・アレントの名著『人間の条件』は当初「世界への愛(Amor Mundi)」と名付けられる予定だったらしい。 世界への愛、大仰だが今の俺の心情をなかなか適切に表している気がする。 この4ヶ月、他者と相互に傷つけあう可能性を持つ被傷性の圏域のうちにおいて得られた啓示があるとするならば、それは我々がこの世界を生きる価値のあるものとするために行為する責務を負っているということである。 以上。

          インド120日目(Amor Mundi)

          インド100日目(fried rice)

          「ローカルチャイニーズは食えるか」 マーケットでの物乞いの最中、インフォーマントが俺に尋ねる。 「もちろん」 俺が答えると、インフォーマントは俺をマーケットの裏にある小さな食堂に連れていく。 二つの中華鍋を取り囲むように何台かの丸椅子が並んでいる。バザールの労働者しか使わない、名前の無い小さな食堂である。メニューはchicken fried rice、chilli rice, noodleの3つしかないらしい。 インフォーマントにchicken fried riceが

          インド100日目(fried rice)

          インド85日目(モンスーン)

           どうしようもなくやる気を失った状態から少し持ち直し、なんだかんだと充実している今日この頃。 名高いムンバイのモンスーンがいよいよ本格的に始まった。 モンスーンを祝うかのように宿の上水道が止まった。困る。  モンスーンは個人の経験においては不快なものである。  強風を伴う雨は傘をさしていても容赦なく身体を濡らし、氾濫した道はひどい時は膝まで水に浸かる。食物の衛生リスクもかなり高まる。しかし、インド人がモンスーンについて語る時どうもそこには祝祭的な雰囲気がある。歓迎すべ

          インド85日目(モンスーン)

          インド75日目(中弛み)

          ビリヤニはいいね。インド人の生み出した文化の極みだよ。 ビリヤニにはまっている。 食べたことがなかったわけではないが、最近急に美味しいと思うようになった。 味覚が変化したのかもしれない。 ところで、中弛みとでもいうべき状態に陥っている。 どうも毎日やる気が出ない。 暇な状態というのは精神に対する拷問である。 暇な状態を自ら作り出している時はなおさらである。 激しい自己嫌悪に苛まされる。俺の周りには毎日必死に生きている人々がいる。 インドにおいては生存を賭けた戦い

          インド75日目(中弛み)

          インド60日目(Bandra地区)

           インドについて60日ほどがすぎた。 つまり滞在期間の半分が経過したことになる。  今月初めはひどく体調が悪く、また今月はプライド月間ということで色々と忙しく更新が遅れてしまった。申し訳ない。  体調不良から立ち直ってすぐに滞在中のホステルに日本人の双子が来た。片方は俺が卒業した大学、片方は俺が在学中の大学に所属している。奇遇である。 親戚がデリーで働いていて、初めての海外旅行としてインドに来たらしい。 見るもの全てが面白いらしく、彼らと一緒にいることで俺の失われつつあっ

          インド60日目(Bandra地区)

          インド45日目(伝達)

          2週間に一回程のペースで彼女と電話をする。 電話前は頭の中に話したいことがたくさんある気がするが、いざ実際に話し始めると驚くほど言葉が出てこない。結果としてほとんど自分の話をすることなく毎回の電話が終わる。 原因は、経験を伝えることの難しさに起因するのかもしれない。 経験というものを、外の世界の事象に対する俺という主体の反応として定義すると言語を通じた経験の伝達という営為には二つの難しさが内在しているように思われる。 1 外の世界の事象を言語化することの困難  これ

          インド45日目(伝達)

          インド35日目(体調不良)

          ひどく体調が悪かった。 思えば大学2年時のベトナムでも前回のインドでも熱が出た。しかし、過去2回の体調不良は今回のそれと比べると全くたいしたものではなかった。 過去2回はどちらも急な気候の変化に加えて、異国で一人きりであるという緊張によって疲労が蓄積し、発熱につながったのであった。到着後1週間後ほどに発熱し、二、三日休めば治る程度のものであったのも共通している。 今回の渡航に関しては、今までとは同じ轍を踏まないべく十分な対策はしていたつもりである。到着後1週間ほどして体

          インド35日目(体調不良)

          インド20日目(Masjid地区)

          警告:刺激的な画像を含みます。 今月末まではMasjid地区のホテルに滞在する。  お世辞にも評判の良い地区とは言えない。 友人にMasjid地区に滞在していることを述べると「なぜあんなところに」と反応される。混雑していて汚く治安も良くないエリアらしい。  たしかに衛生状態はムンバイの中でも最悪の部類に入る。汚水ともヘドロともつかない悪臭を放つ水が常に道路を濡らしている。至る所にゴミが散乱していてその周りには何匹ものネズミが走り回っている。車に轢かれたネズミの死体は放置

          インド20日目(Masjid地区)

          インド10日目

          ムンバイに着いて10日経った。 連日30度を超える厳しい気候ではあるが、幸いにも今のところ体調は問題ない。  到着してから5日ほどはムンバイの観光中心地であるFort地区のドミトリー(1500円/日)に滞在していたが、個室が欲しくなったので今はMasjid地区のイスラム商人が経営するホテル(2000円/日)に移った。衛生状態と通信環境は劣悪、夜には建物全体が停電する酷い宿だが、それでも個室はありがたい。  ドミトリーに滞在して2日目のこと、同室で同じ年のインド人と仲良く

          インド10日目

          京都に住んで一年

          東山の山麓に居を構えて一年が経った。 天皇廟と寺社に四方を囲まれ、大学に行くために「日本中の神が一堂に会する」とされる吉田神社の斎場所大元宮を通り抜けなくてはならない我が家は間違いなく霊性の強い土地に位置しており、その証拠として家の近所では新宗教系各派の教団施設が活発に活動している。このような清浄な土地で高邁な精神を涵養しようとする当初の目論見は外れ、あるいは学生街に住めば得られたかもしれない同世代とのコミュニケーションの機会を失った結果として心身ともに甚だ堕落した状態に陥っ

          京都に住んで一年

          飛び出し坊や考

          飛び出し坊やが好きだ。 「夜中の汽笛くらいには好きだ。」 思い返せば、俺は昔からずっと飛び出し坊やが好きだった。 飛び出し坊やの何がかくも俺を魅了するのか。 長らくこの問いを考え続けている。 【暫定的回答】 まず、そのフォルムである。 吸い込まれそうな漆黒の瞳。そして、一切の運動性を欠く身体。 今まさに到来しようとしている悲劇の直前の一瞬が永遠に引き伸ばされ、 その永遠の中で飛び出し坊やの身体は完全に弛緩している。時間を欠いた行為。 絵画空間の中でいかに時間を導入するか

          飛び出し坊や考

          7,8,9月(ロベルト・ボラーニョ)

          ここ3ヶ月ほど小説を読んでいる。ひたすら小説を読んでいる。 小説を読むことしかしていないとも言える。  ロベルト・ボラーニョ。  管見にして、私はこの小説家を大学に入るまで知らなかった。大学1年時に図書館のラテンアメリカ文学での運命的な出会いをから早3年。 図書館に置かれているボラーニョ・コレクションは2周した。短編集2冊 『売女の人殺し』と『通話』は偏執狂的に繰り返し読んでいる。特に、8月は冗談抜きに毎日1回どちらかを読んだ。少なくとも図書館に行った日は。  多分、ボラー

          7,8,9月(ロベルト・ボラーニョ)