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映画『流浪の月』の映倫Gで大丈夫?という話(ネタバレ有・楽しい話ではない)

はじめに


映画『流浪の月』原作既読済の映画感想もとい引っ掛かりポイントの話。
キャストが~ 演出が~ というエンタメ性のある話は一切してません。
あんまり楽しいことを言ってない気がします。

・原作/映画ともにネタバレあり、いずれも履修済前提での話で進めてます。
・映画『ミッドナイトスワン』の一部ネタバレもあります。
・パンフやネット記事含むインタビュー関連は未読です。
・本編よりも映倫の話が多く、取り上げる話題の性質上、セクシャルな話も含まれます。
・李監督作品は本作が初めてです。

※諸作品に関して多少内容の齟齬があってもご容赦ください。
(致命的なミスはコメント頂けますと幸いです)




以下、一個人の感想ですので悪しからず。




まず結論

この文章の結論を最初に申し上げますと
「これ映倫G(全年齢向け)は駄目なのでは?」です。
あと監督と解釈違い起こしたかなぁという感じです、ざっくりですが。


終盤のシーンの描写について

原作からの変更点で、視点の切り替わり、過去シーンを随時入れるなど
話の流れや構成は変わっております。
個人的に原作読了後と映画鑑賞後の後味全然違いましたが、
スタートとゴールが一緒なので原作にかなり沿っていると思います。
ところどころカットされている部分もありますが尺を考えれば納得の範囲。

なので、終盤の某シーンに面食らった訳ですよ。

更紗との2ヶ月の生活の間に言っていた「死んでも知られたくないこと」というのは二次性徴が止まっているということだったのですが、
まさか文が全裸になって子供時代から発達しない男性器を更紗に見せることでその秘密を明かすとは思わず、今までのものが全部吹っ飛びましたね。
二次性徴が止まっているというのを原作通りにセリフだけで表現するのは難しいと思うのですが…

映倫G(全年齢)ですよね?大丈夫ですか???

私自身、あまり映画に詳しくないので頓珍漢なことを申し上げているかもですが、男性器って例えR18だとしても映せないのでは…?という。
私が見たことある作品との比較しか出来ないのですが『窮鼠はチーズの夢を見る(R15+)』でも『彼女がその名を知らない鳥たち(R15+)』でも絶妙に隠してたじゃないですか。成長具合の問題なのですかね?


映画『ミッドナイトスワン』に見た映倫の個人的な雑感

作品は変わりまして、映画『ミッドナイトスワン』(映倫:G)でも似たようなことを思ったことがありました。

故郷を離れ、新宿のニューハーフショークラブで働くトランスジェンダーの凪沙(草彅剛)。ある日、育児放棄にあっていた親戚の娘・一果(服部樹咲)を養育費目当てに預かることになる。叔父だと思い訪ねてきた一果は凪沙の姿を見て戸惑い、子供嫌いの凪沙も一果への接し方に困惑するが、同居生活を送るうち、孤独だった二人は次第に、互いにとって唯一無二の存在になっていく。「母になりたい」という想いを抱き始めた凪沙は、一果のバレリーナとしての才能を知り、一果のために生きようとするが…。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3-%E8%8D%89%E5%BD%85%E5%89%9B/dp/B094VN2QHR

終盤、生物学上男性であった凪沙さんが紆余曲折あって揉み合いの末、服がはだけて乳房が露わになり、性転換手術をしたことが明らかになるシーンがあります。
私の見てきた作品の印象なのですが、アニメ映画ですとPG12から女性の乳房が謎の光や湯気で隠されることなく描写できる認識でした。
『劇場版BLOOD-C The Last Dark』や『PSYCHO-PASS Sinners of the System 「Case.3 恩讐の彼方に_」』は女性の入浴シーンで乳首隠れてなかったですね。PG12でしたね。
※どちらも映倫で調べて見たところ、流血や殺傷での指定でした。まあドミネーターで吹っ飛びますし血Cは血Cなので、そりゃそうですね。

このような過去の偏った鑑賞作品より、個人的なPG12の性的描写のボーダーとして「性を象徴する体の部位(女性の乳房)を映せるか」が私の中にありました。
アニメと実写じゃちょっと違うとは思うのですが。

あくまで個人的な解釈ですが『ミッドナイトスワン』で性転換手術後の凪沙さんの胸が露わになったものの映倫Gだったのは、露わにされたのは「男性の胸」という判断が下されたようなものなんですよね。実写だと女性の乳房が露わにできるのR15+からじゃないかなぁと。たぶん。


ベッドシーンから見る成人男性としての対比


で、映画『流浪の月』に話を戻します。


そもそも文の秘密以前に更紗と亮のベッドシーンの描き方は全年齢じゃないよー!とビックリしました。
いや体を重ねるタイミングは原作通りなんだけどそこまで書かれてなかったですよ多分!

なんで亮の性行為の描写が原作比であんなにもねちっこいのかなぁと思ったのですが、文の秘密が明かされるシーンで一瞬で腑に落ちました。
たぶん、対比なんですよね。成人男性として備わっているものがあるかないか。文はどうしても「つながれない」ですからね。
二次性徴を経た男性器の有無、人間の三大欲求である性欲の有無。
それが亮にあって文にないものであると表現するのが性行為だったんですよね、と私は解釈しました。
仮にインタビューとかで真意が明かされていたとしても私の中ではそういうことにさせてください。
あと谷さんが片胸摘出している設定…文と同じく、身体的になにかを欠けている存在がいなくなった分、さらに亮の性描写をより濃くすることになったのかなぁとも思ってます。谷さんがよくも悪くも原作以上に「普通」の人を代表する存在になってましたね。

それにしてもねちっこくてビックリしましたよ!指を舐めたあたりで私は凄い顔をしていたと思います。

画像1友人に宛てたラインより引用。これ以外の表現が見つからなかった。

原作本でもそんな細かい描写ないよ!
凪良先生の著作(一般文芸・商業BL問わず)全部読んでる訳じゃないので断言出来ないですが先生の商業BL本で見かける行為が多かったよ!
映倫Gの映画で、性行為で具体的に何してるかめっちゃ分かるのビックリだよ!効果音の拾い方がエグいよ!
洋画とかアジア映画の映倫Gそんなもんだよって話でしたら…普段アニメ映画ばっか見てるので、それが実写の平常運転だったらごめんなさい!
乱雑に胸に手を突っ込むあたりは、撮影監督が『パラサイト 半地下の家族』の方だという情報は把握していたので「時計回り」のシーンが思い浮かびました。

15年前の文について

この時に映倫どうなるんだろうか、と言及した際は、幼少期更紗が親戚の家で夜な夜な体を触られるシーンを主に思い浮かべてました。
むしろそこは描写アッサリかつボカされていたので安心しましたよ。
割とトラウマをえぐられる方が多い気がしたので…。

あと、15年前の文を誰が演じるのか…というのが一番気がかりでした。
おそらく、更紗の中で15年経っても変わらない佐伯文を表現するために、19歳の佐伯文も松坂さんが演じたと推察してます。

ただ原作では
文が動物園(映画では湖)で誘拐犯として捕らわれる
→身体検査で二次性徴が止まっていることが医学的に証明される
→ホルモン剤の投与など治療がされるも時期が遅かった
…という流れでした。
なので誘拐時期の文が男性らしいのは違和感あるんじゃないかなぁと思っていて。松坂桃李氏、どちらかと言わなくても男性的ですので。少なくとも私はそう思ってます。男性器だけ成熟しないものなのですかね…
この辺りで、作り手との解釈違いだな、と確信した訳でした。
あくまで原作は原作、映画は映画なので違っているのは当然なのですがね。


救いではあるが――解釈違いの最たる要因

なお、監督と解釈違い起こしたなぁというのは、鑑賞後の後味ですね。

冒頭で『ゴールは同じ』と言いましたが、その先はちょっと違います。
それが安西さんの娘である梨花ちゃん――更紗と文の真実を知っていながら、いや、知っているからこそ二人を応援してくれる存在の有無です。
これは尺の都合かもしれませんが、更紗と文を応援してくれる人の存在の描写の有無、これが鑑賞後の後味を変えたなぁと。

梨花ちゃん以外にも応援してくれた人は居ます。
映画の中で店長が更紗に「世間は好き勝手言うかもしれない、でも家内さんを本当に心配している人の声に耳を傾けてほしい」と言いました。
これも尺の都合かもしれませんが、店長も本来は『本当に心配している人』の一人でしたが、正社員登用云々の話がカットされたので、どうにかしてあげたいけど社会人的にはどうにも出来ず、もどかしい気持ちを抱える心優しい人に留まってしまったんですよね。
(店長が応援したいのはあくまで更紗であった、文が含まれているとは限りませんがね!)

そして何よりも梨花ちゃんの存在です。
映画での梨花ちゃんのポジションは、かつての更紗というところだったのでしょう。
原作の梨花ちゃんは更紗と文の真実を知りながらも、いや、だからこそですかね。二人を応援してくれる人になるんですよ。
誘拐時の動画を見てゲラゲラする高校生を牽制したり、二人のために涙を流したり。
あと中盤の文の部屋の隣に転がり込むために、安西さんが夜逃げ屋を紹介したのも割愛されているので…

おおよその結末は一緒なのに映画の文と更紗は、なんでこんなにも暗闇で生きていく感が溢れてるんだろうなぁと思ったのですが、
なんか乙女ゲームのトゥルーエンドを迎えられずメリバエンドを辿った感じですかね…
(※ノベルゲームは乙女ゲームしかやってないのでその例えしか浮かばず)
映画の終わりは、完全に閉ざされた二人の世界で生きていく。
世間が周囲がなんと言おうとも、二人の手が繋がれている限りそれで良いのだと。
あのラストは本当に二人だけの世界で生きて周囲を拒み、周囲もまた二人を拒む。
これからもそうして生きるんだろうなぁと私は受け取りました。
「これからも二人で生きていけるんだね良かったー!」という安堵よりは一周回って「もう好きに生きればいいのよ…」みたいに悟りました。
なんだろう、この感覚には身に覚えがあるような…
もしかして…


さいごに:このnoteは自己満足のために書かれました

流れは原作と同じなのになんでこんなにも受け取り方が違うんだろう…と不思議に思ったのですが、書き起こして自己満足しました。
なんですかね、まとめると…
未成年、外出する時はちゃんと保護者に連絡しようね!場合によっては誘拐になっちゃうから!相手が成人だったらなおさら!
この作品だとそんな連絡出来る環境じゃないけど!

李監督の作品はこちらが初めてなのですが、もし原作未読だったら、たぶん高尚過ぎて分からなかったと思います。
意図的に説明セリフやモノローグを省いてると思うのですが、いやちょっと省きすぎではないかな…?
それはお前の理解力が足りないと言われればそれまでなのですが。すみません…

真実は当事者にしか分からないのですが世間一般はそりゃ受け入れられませんよ。
凪良先生の『神様のビオブート』の主人公も自分の異端性を自覚していて、それでもなお己を貫くので…たぶんそういう傾向なのかな、と勝手に思ってます。周囲に理解されない関係性。
凪良先生の商業BL作品でドラマ化もされた『美しい彼』もどう考えても平良の清居奏に対する信仰心がヤバすぎて周囲からは理解しがたい関係性です。理解出来たらダメです。読み物としてはめちゃくちゃ面白くて読みながら笑ってます。

ドラマね、尺がもっと欲しかったけど最終回攻めてましたね…!


更紗のバックボーン描写を結構省いたので、更紗がより異端に見えましたしね。たぶん尺の都合でしょう。
更紗も自らの置かれている立場や己の性格を知りつつ、それでもなお文の隣にいたい自分の愚かさは痛いほど自覚して行動しているので、周囲の反応は何一つとして間違ってないのです。それを背負って生きることを選んだのが家内更紗なのです。
あと子供更紗が親戚の家に戻ってから酒瓶で逆襲したシーンがなく、反抗心が薄く見えたので、映画更紗はより内に秘めるタイプになっていたと思います。
原作以上に、周囲に理解を得ること求めてない、いや、諦めているという方が正しいでしょうかね。
15年前の真相(実際に更紗に手を出していたのは文でなく親戚の子)を文以外に漏らしてないですからね、原作と違って。

亮の実家に帰ったときに亮が更紗に自分の話をして更紗が亮を少し受け入れる話も省かれたので、単純に中瀬亮氏がヤバいDV男になってましたね。いやまあ亮の方向性としてはそれで合ってるのですが。親戚の子から元カノの話を聞くシーン、原作通りなのですが笑いそうでした。笑う場面ではない。
転落事故を更紗に責任転嫁するシーンが、まさかの自傷行為に置き換わったことで哀れさが増しましたが…DV(暴力)はダメ、ぜったい。


キャストの話とかはいくらでも出来そうなので折を見てふせったーに投げます。
これだけ書けることがある作品なので、見ごたえはあります。
内容重いし150分は伊達じゃない。心身整えてから劇場へ!
何度も申し上げますが…私は文の最後のシーンで全部吹っ飛びました!!

以上、とある原作既読マンの雑感でした。

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