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SNSに求める事

1日24時間、SNSを見ない日ってありますか?

ほとんどの人が無いんじゃないかなと思いますし、もちろん自分も見ちゃいます。

では、毎日必ず見ているSNSを、何のために見ているかを考えた事はありますか?


友人やフォロワーのSNSへの反応を見せる。
そうしないと自分の投稿への反応が減るんではないかと心配になったり、なんとなくスルーしてはいけないという罪悪感。そして、自分も同じような投稿をしなければと毎日インスタのストーリーに何かしらを載せる。そのような事が当たり前な事、SNS上での社会的義務だと思い込んでいる、そんな感じの人も多いと思いますが、それを意識している人は少ない気がします。

無意識にSNSを開き、思い込みのルールを実行。

それに何の意味があるのか?色々と疑問に思い、こんな事を書いています。

僕はできるだけ、SNSの使い方を限定して使っていきたいと思ってるんですが、先程書いた思い込みのルール、SNS上の社会的義務が完全に抜けきらずモヤモヤしている状況です。

SNSの内容に興味がないけど、知り合いだからフォローをはずしにくいとか、よく分からないけどフォローしてくれたからフォローバックした人など、誰にでも一つや二つあるんじゃないかな?

要は意味の無い、思い込みのルールから抜け出して、もっと意味のある(自分の為になる)使い方が、SNSに求める事なんだと思いました。

ゲームとしてのSNSはもう飽きました。とりあえず新しいアカウントを作ってみようか検討中。


SNSは危険であり、やめるべきだという方も多いし、そのような内容の本も多く出ているかと思いますが、それは使い方次第で良いものにもなると考えています。

そのSNSの危険性について自分なりに感じた事は何度も書いてきた「思い込みのルール」です。知り合いや友達や仲間の関係性がSNSで繋がっていないと薄れてしまう。薄れてしまうと連絡が取りづらい、何をしているのか分からないから、いきなり連絡するのは悪いと思ってしまうという現象。

そもそも連絡って、いきなりする事なんだけどね。

と、こんな感じでSNSに関してのモヤモヤをこのnoteに書けただけでも、スッキリした。何も考えずにSNSを使っていた時に、この記事読んだら「こいつ何言ってんだろ?」とか、「意味が無くても、使ってて楽しいから別にいいじゃん」とか思って読む気にもならなかったんだろうなって思う。

その、何も意識する事も無く、考える事も無く、ただ無意識に近い状態で使い、無意識に近い状態で情報が頭の中に入って来てしまう事が一番危険なのかも知れないですね。

意味の無い思い込みのルールから抜け出して、もっと意味のある(自分の為になる)使い方が、SNSに求める事。

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