「やらされている」感について


「やりたくないことをやらされている」感。
ありますよね。あるある。
私もこれに苛まれていた時期ありました。

仕事でも家事でも、住んでるところでも何でも。
色々な物事において、この感覚を感じることって結構ある。

でも、私最近思わなくなったんですよ。

「やらされてる」という感覚がなくなり、
「自分の人生は(自分が関わってることは)自分の意志や行動などを自分で選択でき、それによって良くも悪くも展開させることができる。」ということを認識できるようになりました。


「自分の人生(自分が関わってることは)は自分の意思決定で進めている」ってことを理解したからなんです。

というのも、要は「やりたくないのにやらされている」と思ってるけど実は「やりたくてやってる」んじゃないかと思うんですね。

だって、自分が手放さないだけなんだもん。嫌なのに辞めないのは自分。
しんどいし、自分に合わないと思いながらもやり続けるのは自分。

たぶんですけど、何かの理由があって自分がやりたいとか、やるべきだと思ってやってるんです。(途中で投げ出したくない。辞める勇気がないなど)

だから「やらされてること」は実はないかもしれません。
辞める選択肢を持ってないっていうことかなあ。

*******************************************************************

ここで、
・途中で辞めたら他の人に迷惑かけるから
・今辞めると言ったら根性ない人だと思われるから
・辞めてもその先に今のような環境で働けないから

などという気持ちも生まれるでしょう。当然当然。みんな思う。
だってそう教育されてきたから。

でも本当にその気持ちや思いを優先するべきですかね?
状況によっては気持ちを優先した方がいい場合もあるかもしれません。

でも、よくよく分解してみると
例えば「迷惑かける」っていうのも勝手に自分が思ってることだし、(実際)人が一人辞めたくらいで会社はその後も普通に続いて行きます。
迷惑は大してかかりませんし、そんなにしんどい状態だったら多少自分の意思を尊重して周りに迷惑かけてもいいんじゃないですかね?!

「根性ない人だと思われる」って、それも勝手に自分が塗り固めていること。人がどう思うかは他人がコントロールできないですよ、そもそも。

さらに、「やめたら不利になる」的守りの考え。
私は5回転職して、今はフリーランスなので会社は合計6回辞めてますけど
自分の自己決定で辞めて進んでるので、辞めなきゃよかったなんて思うことないし、何かを辞めるということは何かを始めることと同じなので、必ず何か前進しますし自身が成長(発達)します。

*******************************************************************

ここまできたら、「やらされてること」ってないと思いません?

「やらされて強制的にやってる」のではなくて
自分が、そのしんどいことに対して「自分の意志でやろうと思ってやっている」
のだと思いません?

こう思えるようになったらとたんに、「これ嫌だな。やりたくないな。」と思った時に、じゃあ辞める?辞めても誰も迷惑かからないし、それも自分の選択肢の中の一つだけどどうする?って自分で自分に問いかけるようになりました。

また、嫌なのはなんでだろう?そうか、こういうことが自分には向かないのか。とかこういう「やり方」で仕事を進めることが嫌だったのか。そしたら改善提案すればいいな。とかその先に進めるようになったんですよね。

嫌なのには嫌な理由があるんですよ。自分の中ではちゃんと理論的な理由があるものです。
それがわかったら、じゃあどうすればいいかを考えたらいいだけ。

この考え方を受け入れられるようになったら、生活や仕事や生きていくことや考え方・感じ方や人への接し方に力が抜けて楽になりました。


そして嫌なことやうまくいかないことがあっても、別にやらされてる訳ではないので、自分の決定や優先順位の調整で、やるもやらないも、どれだけコミットするか完成度はいかほどで良いとするかは自分に委ねられている。

と思えるようになりました。

「考え方を変えるだけで生きやすく」なるという学び。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?