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コロナでほとんど交流出来なかった移住生活

2022年の新年はまたコロナの嵐が吹き荒れました。東京から家族や友達の出入りのある我が家。私は地元の方とどの程度距離を縮めて良いのか測りかねていました。

ニセコエリアは紺色服不要

もともと都心エリアの我が家。この辺りでは学校関係の行事にママは紺色の洋服を着れば無難という暗黙のルールがあり、倶知安に引っ越す際も学校関係のイベントに困らないように念のため紺色のママ用服を荷物に詰めて送っていた。新学期が始まる前の転入の挨拶にはこの紺色服を着用して行ったのだけれど、、、、寒い。紺色のヒールの中に雪も入って来る。当たり前だ。除雪したばかりの駐車場でも降る時は1時間で10センチほど雪が積もる。駅前のパチンコ屋のお姉さんもミニスカートでも足元はブーツだ。誰一人、このような恰好をしていない。冬のニセコエリアでは、紺色服は不要だと1日で察した。それでも暖かくなったころの保護者会などのイベントでは着る事もあるのかな、、と念のため大切に家で吊るしておいたのだった。

一度も開かれなかった保護者会

倶知安の冬休みは長い。1月中旬まで冬休みだ。関東に比べて遅い新学期が始まり1週間。息子は一緒に遊ぶ友達が数名できた。ようやく新生活が始まって親子ともワクワクしていた。

そんな中、子供を学校に送り出してすぐに学校から連絡が来た。「新型コロナウィルスの陽性者がクラスに出ました。1週間オンライン授業になり、今日は早退としますので11時に学校に迎えに来てください。」と残念なお知らせ。1週間オンライン。外出不可?始まったばかりなのに、、悲しくなりながら車で迎えに行く。時間より早く学校の駐車場に付き、周りを見渡すと同じように子供を迎えに来たであろう保護者達が各自の車内で待機していた。気持ちとしては車を降りて、この度転校してきた者です、と挨拶をしたいけれどこんなご時世だし外は吹雪。大人しく車内で様子を伺う。すると到着した1台の車から保護者が飛び出して行き子供をすぐに連れて車に戻って来た。なるほど、学校の玄関の中まで行けば子供がそこで待っているのかと、車外に出る準備をして息子を迎えに行く。迎えに行った先で2名の保護者と遭遇し、無事に挨拶ができた。挨拶が出来た所で連絡先の交換をするわけでもなく、家で明日からコロナ自粛生活が始まる。ママ友が出来るまでの距離が不明な生活が続く予感がした。

結局3月の修了式までに、もう1度コロナで学級閉鎖があった。6年生だけで卒業式が行われ、下の学年は保護者会というものは一度も開かれず、学校を通じてママ友を得る機会がないまま移住生活が終了してしまった。

それでも子供経由で2名だけ連絡先を交換したママが出来て、すごく仲が良くなる時間があった訳ではないけれど、ちょっとだけ交流が出来た。短期間の転校を決行する、野の物とも山野の物とも知らぬ私と交流してくれて感謝、倶知安ニセコエリアの子育てについて教えていただけて大感謝だった。

倶知安の子供たちを見ていると、すくすくと真っ直ぐに、親から過度な期待や詰め込み勉強をさせられている子が少なくその子らしく育っている子が多いと感じた。そんな子供達を通して何となく倶知安の親の姿を想像した。仲良くなる機会がなかったと言えばなかったし、もう少し積極的に関わろうと思えれば関われたけれど、関わらなくても結構快適に過ごせるという経験がコロナのお陰で出来たのだった。

人は「いいね」で満足する。

この言葉はネットの海のどこかで聞いたセリフで、倶知安にいた頃の私はまさしくそれだった。インターネットで今日は天気と呟く。それに見知らぬ誰かからイイネ、と返事が来る。それまでSNSを子バカにしていたけれど、おお、っと感動した事や、たわいもない事、それを呟く。いいね、と押す。押される。たったそれだけで意外と世界と繋がっている感がするし、孤独を感じない。

仲が良い友達がいない倶知安生活。誰かに気を遣う訳でもなくスケジュールが組める。積極的に誰かと仲良くなろうという考えは早々に捨て、自分のスケジュールで楽しむという楽しみ方を初めて出来た。

親子で知らない土地に来たからこそ出来た事だった。

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