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逆差別マーケティング

Macintoshの危機

1985年、Apple社の本社がある米国では、問題が勃発。Macintoshの売れ行きが芳しくなく、スティーブ・ジョブズが解任される騒ぎが起こっていた。

一方、当時の私はソフトの販売企画も担当していた。ある日、米国Microsoft社の日本人担当者による訪問を受け、同社が開発中の総合ソフトの評価を依頼された。その総合ソフトというのが、私たちの生活でもおなじみの「Excel」である。

開発途中のExcelを使ってみたところ、頻繁にバグが起きて落ちるものの、使い勝手自体は良い。それが最初の率直な感想だった。その後、まだ書きかけの英語版のマニュアルを米国Microsoft社から送ってもらい日夜研究を行った結果「このExcelこそがMacintoshのキラーソフトになる」と確信したのだった。

前述の通り、米国Apple社の状況はかなり悪いらしいと聞き、噂の真偽を確かめるべく、急遽アップル事業部のトップが米国本社に飛んだ。偶然にもアメリカに到着した日に、Apple社でストライキによるロックダウンが始まってしまった。本社に向かおうと空港で乗ったタクシーの運転手から、Apple社のレイオフを知らせる新聞を見せられて驚いたと語っていた。

Apple社にたどりつけないまま、慌てて日本に帰国したトップは、すぐに社長を交えた緊急御前会議を開催。会議ではアップル事業撤退案が濃厚となっていた。

しかし、Macintoshを愛し「Excel」がゲームチェンジャーになると考えていた私は、どうしてもこの撤退案が受け入れられなかった。緊急御前会議で思い切って手を挙げ、Excelの素晴らしさを伝え、その販売成績を見て撤退判断をして欲しいと訴えた。

この意見に同調してくれたのが滝川社長である。「聞いて驚くな、見て呆れろ。」と言う社長の賛同のもと、特別販売援助金をもらってExcelの日本語化や、Macintoshの販売を促進する「マックが来た!」キャンペーンの実施が決まった。

「マックが来た!」キャンペーンの告知チラシ。
「エクセル&マックなしにあなたナシ!」がコンセプト

キャンペーン開催に向けて、また多忙な日々が始まった。なにせキャンペーン告知の広告やパンフレットの制作、講習会で用いる教習本の作成など、膨大な量の仕事を私を中心に数名でこなさなければならない。

朝8時から23時まではオフィスで、土日も自宅で終日仕事をしていて、体を休める暇がまったくなかった。まさに私の人生で一番忙しかった時期と言っても過言ではない。しかし、同時に非常に充実していた時期でもあった。

キャンペーンが始まってからは、賛同してくれた販売代理店に対して、卸率や販売促進策などを優遇した。キヤノン販売社内で差別されているアップル事業部のほうから逆に差別する方法で、私はこれを「逆差別マーケティング」と呼んでいた。

当然優遇されていない販売代理店やキヤノン販売の他製品のセールスからは非難されることもあったが、それも計算の内である。結果的に優遇した販売代理店ではよくMacintoshが売れる現象が起こり、慌てた他の販売代理店が追従するようになった。

「マックが来た!」キャンペーンの成功

マックの危機から、翌年となる1986年6月に日本語Macintoshを、9月には日本語化したExcelを発売した。

社長からのお墨付きももらった私は、販売代理店を集めて講習会を開くことになる。新聞や雑誌でも広告を打ち出した。この講習会で作成・使用したのが、180ページにもおよぶ「マックで勝つ!セールスマニュアル」だ。

当然のことながら当時はネットも発達しておらず、Macintoshを学べる雑誌もほとんどない。そのなかでMacintoshの情報がすべて記載されているこのマニュアルは重宝された。Macintoshのことをほとんど知らなかったセールスマンも講習会とマニュアルを通じて知識を身に付けられるようになり、Macintoshも売れるようになっていった。

大ヒットだったセールスマニュアル。
インターネットもなく、Macintoshの雑誌も売られいない時代に貴重な情報源であった

キヤノン販売や販売代理店などのセールスマンは全国に3万人以上いたが、当初自分でMacintoshを販売できる実力を持っていたセールスマンはわずか数百人ほどいたかどうかだった。作成したマニュアルはあくまでセールスマン向けのものだが、お客様から情報を求められたときに、こっそり手渡してしまうと考え、漏れて困る情報は記載しなかった。

公式には社外秘としていたが、お客様に手渡されるのを見込んだセールスマニュアルは珍しいと思う。とにもかくにも、マニュアルは20万部を超えるほどの大ヒットを記録。大成功と言えるだろう。この流れに乗り、全国のキヤノンの販売代理店でMacintoshセールを行うことになり、私は全国を飛び回った。

キャンペーンの実施は喜ばしいことだったが、当初は反対派も多く、たくさんのケンカもした。その時にはよく「出た杭は打たれるが、出過ぎた杭は誰も打てない」という言葉を思い出し、自分を奮い立たせ戦っていた。

「マックが来た!」キャンペーンは成功を収め、風向きがガラッと変わった。キヤノン販売社内の旧態依然とした反Macintosh派も口出しをしなくなった。

滝川社長は社内のデジタル教育の不備に気づいたのか、課長以上の役職者に対してMacintoshの講習を行うように支持が出た。講師は課長代理の私が指名された。Macintoshについて及び腰の役職者に向けては、「カメラやコピー機のように、Macintoshもワンクリックだから、バカでも売れる」と言って鼓舞したのを覚えている。