ケビン・ガーネットの光と影

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ケビン・ガーネットがついにNBAを引退しましたね。
1995年に高卒でミネソタ-ティンバーウルブス(以下ウルブス)にドラフトされた当時、まだあどけない少年だったのは昨日のことのように覚えています。
1年目は控え選手だったが先輩達をごぼう抜きし短期間でスタメンになったのを見た時、将来どれほどの怪物になるのか想像するだけでも末恐ろしかったです。
2年目にはオールスターに選ばれ初めてプレイオフ進出します。
3年目が終わると6年間で1億2600万ドルという巨額の契約を結び、若くして成功を手にしたかのように見えました。

しかし、ここからがガーネットの不幸の始まりでした。

・ステファン・マーブリーがガーネットの契約に嫉妬しウルブスを去る。

・マリック・シーリーがガーネットの誕生日パーティーの帰りに交通事故に遭い死亡。

・ジョー・スミスの契約違反が発覚しウルブスは5年間1巡目指名権の剥奪処分。

・チームの補強がままならず7年連続プレイオフ1回戦敗退。

いつしかガーネットは勝負弱いと囁かれるようになりました。

2003年に転機が訪れラトレル・スプリーウェルとサム・キャセールが加入します。
チームは58勝24敗と過去最高のシーズンを送り、プレイオフではカンファレンスファイナルまで駒を進めます。
そして、彼自身も選手としてピークを迎え見事MVPに輝きます。
「このまま行けばウルブスの優勝は近い。」
誰もがそう確信していました。

しかし、物事は上手く行かないものでチーム内では内紛が勃発します。
スプリーウェルが契約に不満を抱いてチームを去り、続いてキャセールも去ります。
頼りになる仲間が次から次へといなくなり、プレイオフにも出られないほど弱体化します。
ガーネットは30代に突入し優勝のチャンスは年々少なくなっていきます。
当時のガーネットは精神的にボロボロで、巨額の契約を結んだことを後悔しチームメイトと仲良くなるのが怖いと語っています。

2007年に12年間所属したウルブスを離れボストン・セルティックスにトレードされます。
生え抜きのポール・ピアース、シアトル・スーパーソニックスからトレードで加入したレイ・アレンがおり、「ビッグスリー」が結成されました。
セルティックスは序盤から快進撃を続け、66勝16敗でリーグトップの成績を収めます。
プレイオフでは一転接戦に次ぐ接戦で苦戦を強いられましたが、ファイナルでは宿敵ロサンゼルス・レイカーズを倒し22年ぶりの優勝を果たします。
ガーネットは苦節13年目にして初めて優勝リングを手にし喜びを爆発させました。
リアルタイムでその瞬間を見ていましたが、今までの努力が全て報われた感じがして目から涙が出そうになりました。

振り返って見ると、ガーネットのNBAストーリーは波乱万丈だったように思います。
最後は古巣のウルブスに戻り皆から惜しまれながら引退できたガーネットは世界一幸せな男です。

21年間お疲れ様でした。

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