ヴァニタスの庭で、ナルシスの手を取つて。
また、理不尽な目に合って気分はぐずぐずと崩れる。せっかくの休みに消化しようと思っていたことができない。疲れ果てる。少しの読書やら映画やら音楽の消費。ひたすらに無駄なことをする。そして、少し小説を書いて、多少罪悪感が消えるというか、この位しかできることが(建設的なことが)ないのだ。
そんな時に思い出すマザーテレサの言葉。
彼女は「貧しい人が、傷ついた人が求めているのは哀れみではなく愛なのです」と説いた。そして無関心ではなく、愛情をかけてあげることを説き、
「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」
「善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなくし善を行い続けなさい」
「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。」と言う。
キリストは好きだが、キリスト教はばからしいと思う俺が、そして、愛についてさっぱり分からない俺が彼女の言葉に深く感銘を受けるのは、彼女が愛が一般的に考えられる、契約や幸福ではなく、愛とはもっと厳しく、そして求めてしまうということについて語っているからだ。そして、後年には彼女でさえも神への愛に迷ったという内容の記録が残っていたとしても、自分のプライドを持って、自分の人生を全うしたということだ。
誰かに優しくする、というのは良いことだ。でも、俺の頭によぎるのは、俺が好きな人が口にした言葉
「とても傷ついている人は周りの人に惜しみない愛を注ぐんです。自分が愛されたいから。愛されることに飢えていて、愛を浴びることで救われることを知っているから」
その人は否定的な意味合いでこの言葉を口にしたわけではないはずだ。ただ、たまにこのことを思い出す。愛の渇きの中にいるからこそ、誰かを愛する。傍から見たら愚かであってもそれでもいいのかもしれない。
マザーテレサは優しくていいひと。だけど俺にとっての彼女はロックスターに近い感じでかっこいいと思うんだ。自分が決めたらことに対して覚悟を決める。そして、大切なことを無駄にするんだ捧げるんだ、自ら愚かな行為に殉じるんだ。そこにナルシスの影があっても構わない。愚かさを受け入れるならば。無駄なことを真面目にする誰かがいるというだけで、少し、俺はまた気が楽になる。そして我が身を律するのだ。
処方箋が出たとしても、決して救われたりしない。生きていくと痛みも汚辱も剥き出し、だけれどせめて人に会うときはドレスアップして編集して体裁を繕おう。ただれた傷口を誇るよりも、愚かな夢想の方が俺は好きだ。
ゆらゆら帝国 - ズックにロック
だめだ、俺はもうだめだ
オーイェー
俺はもうだめだ
って口にすると、少しだけいい気分だ。ダメだって何度も口にするんだ声に出すんだ。
Vacation - Connie Francis
こういう中学生英語で歌えるアメリカの曲がとても好きだ。無駄にバカにごきげんになる。
PLANET ROCK - MOVE
ユーロビートの一番いい部分、ポップでノリがよくて安っぽくてちょっと寂しい、ユーロビートなんて気恥ずかしい、でもその魅力が詰まった良曲だと思うんだ。
小説を書く、ということは登場人物が存在して、彼らには職業があり、洋服を着ているはずだ。
自分が嫌になると、とても洋服について考えられなくなる。特に俺はバカみたいな値段、買えもしない、バカだと愛おしいと思う一枚10万20万のシャツを売り出すようなブランドの品にうっとりしてしまうのだけれど、気持ちに余裕がないとそういった物を自分が着るとか誰かが着るとか考えられなくなる、けれど必然性があるならば書かねばならない。登場人物が誰も洋服なんて気にしない世界の話しならいいけれど、三千円のシャツを買うにも悩む俺は洋服が好き。高い値段のついたバカみたいな洋服が。実用性に欠けている洋服が大好き。自分では決して着れないロリータのメゾンの洋服は一等賞。
馬鹿みたいに購入する品。ネットのセールで投げ売りされるブランド品やらセレクトショップやらの服の売れ残り、在庫処分。無駄遣いの楽しみだ。家のクローゼットからは洋服が溢れているのに、人と会いに行くような服がない。着ていない服だってクローゼットにあるくせに。
ブランド物の古着屋の店頭で、ネットの中で目にする買えない服。トリコロールのシャネルのニット。サンローランの黒とレオパード柄のシャツ。ギャルソンのいつものつぎはぎルック。ヴィトンのトランプ柄のシャツ。俺の一か月二ヵ月の三か月のの生活費が吹き飛ぶ布っ切れ。こういう物を誰かに着てもらうのだ、と夢想するのはそれなりに楽しい。
愚か者の為の虚飾。それはとても楽しい時間。ひとりぼっちの社交界。観客も来客もマネキンか百貨店の備え付け。きれいだかっこいいんだって、自分の為に思えるように着飾るんだ誰の為でもない自分の為に。ナルシスに求愛、できたならばきっと布っ切れも、君を祝福してくれる。
ハイブランドのすばらしさについて考えると、絵画のジャンル、ヴァニタスを想起する。回らない頭でざっと読む美術のモチーフに関する文庫本。
ヴァニタスは虚栄と訳されることもあるが、この世のものは全て空しく朽ちていくという教訓
中世以来のメメントモリ(死を思え という主題と同類
砂時計 書物 骸骨 宝飾類 コイン ひっくり返った杯 消えた蝋燭 花 楽器 シャボン
世界の珍しい物輸入していた オランダ絵画に日本の着物や陶磁器出てくる
日本刀 高価な工芸品であり殺傷道具だからオランダ絵画でヴァニタスの仲間として絵画に出てくる
マザーテレサ、愛の言葉、つまりアガペーについて、そしてロックスターの放言について、そして、ヴァニタスについて思いを巡らせると、最悪な気分が少しましになってくる。
人生は一度で終わりで、俺は強い人間でもこの先の展望があるわけでもないのだ。だから、ああ、生きてるって何だか不思議で楽しいんだってことを忘れないようにしなきゃと思うんだ。死ぬまでに多くの幻覚を錯覚を持てるように。
sora tob sakana/魔法の言葉
爽やかで美しいエレクトロにつたないアイドルのボーカルが混じって、不安定で切ない美しさを生み出す。
さっきまで当たり前だった 景色が輝いて
魔法の言葉 空にあふれ出してく
ちょっとだけ 悲しい気持ちに なっても大丈夫
魔法の言葉 君が教えてくれた
いつでもつながってる
大丈夫、って好きな言葉だ。根拠はないのに、誰かに好きな人に、誰もいないならば自分で自分に大丈夫だって言ったら聞いたら口にしたら、どうにかなるような気がしてくるから不思議だ。
何度も駄目だと思う。いい加減にしてくれといい加減にしないとと思う。でも、後楽園で僕と握手、みたいなことをヒーローにヒロインに握手することを思い浮かべる。誰かの手を握る、誰かに手を差し出すことを思うと、まだ気分が良くなる。辛い時こそ誰かのことを思うと気が楽になるのだ。自分が醜いと思っても傷口が開いていると思っても、それを意識しすぎるのはみっともない。事実に目をむけるのはとても簡単なことだ。
政治に対して無知な俺はたまに社会情勢やら政治についての本を暇つぶしに読んで、ある言葉に出会う
福田赳夫 が言ったといわれている「正しいことを言うときは気をつけなさい。正しさは常に人を傷つけるから」という言葉があります。これは、古き良き保守の発言だと思っています
正しさも嘘も好きだ。だから少し、身支度をして本に誰かに会いに行かなくっちゃ。行かなくっちゃ行かなくっちゃ。無駄なことを思い付きを口にしなくっちゃ。