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58.貧と信(1)-生活苦の問題-

天理教を信仰するということは、人間が目指す本来的な生き方をしていくことだと私は信じているのだが、そこに「何故?」「どうしてなんだろう?」とつい感じてしまうことも色々あったりもする。

その一つが“貧”についての問題。

真っすぐ神様を求めひた走ることで、傍から見てその人が徐々に栄えていくのが一目瞭然であるならば、追随するように信心する者も大勢出て来るだろう。

ところが実際はその真逆の現象が待っているの方が往々だ。
信仰に本腰入れ、稼業を捨てて道一筋・おたすけ専念にとのめり込んでいくと、そうなる以前より明らかに経済的に苦しくなっていったり、成果がまるで見えない暗がりを味わう時間がその人に待ち受けていたりする。

教祖の直弟子と言われた先人達もまた、多くが同じくそういった道を通り、その道中で困惑し葛藤した様子が記録からも覗える。


貧に悩んだ先人のケース

河原町大教会初代・深谷源次郎先生の明治20年頃の、貧に戸惑った時のエピソードが同大教会資料にある。

「貧に落ち入り」
斯道会の道の発展に比例して、鍛冶屋の仕事を短縮されていきます。それにつれて、深谷家の生計が苦しくなってきました。源次郎が頂かれたおさしづで明治20年10月と推定されるものに、
「道に付てだん/\貧に落入るニ付伺ひ」(お道になってからだんだん貧乏になりますが、これはどういう次第でございましょう)というのがあります。この時のおさしづは次の
さあ/\/\/\日々の事/\/\今一時どうせねばならん/\とは言わん。内々成る処も思やんの処もある。日々の処も思う処がある。日々一人なりともという処続くよう。どうこもならんようになるで。今処内々の処も案じあるようなものやで。随分名も通る。どうせえとも言わん。後へ戻りたら、何にもならんで。随分々々じいとして/\も、今からや/\、世間から言うように成りて来るで。そこでじいとして居られんように成る。成りて来るで。今の処は心を配ばりて、楽しんで居るようの心定めてくれ。
大意は、内々の者も案じていようが、どんな道も通らねばならん。しかし、これがために後へ戻っては、これまでの苦労がなんにもならんことになる。末では必ず頼もしい道が来るのだから、今はこの細道を楽しんで通る心を定めてくれ、とお励まし下さっています。
そして実際に間もなく、このお言葉どおりのお見せいただかれたのです。

河原町大教会資料集成部編「深谷源次郎伝」より抜粋



これと類する話がもう一つ。
船場大教会初代・梅谷四郎兵衛先生のエピソードだ。

四郎兵衛先生は本格的に信心していくにつれ、家業である左官屋の仕事をだんだん疎かにしていく。
結果、お道に尽くして東奔西走する日々が増え、それに反比例するように生活面で困窮していくことになる。こども達を食べさせることに四苦八苦し、妻のたねさんは、ある時は何度も実家をたずね、食べるための米を借りに足を運んでは肩身の狭い思いをし、ある時は寝具を質屋へと持って行く。

「信心すれば結構になる」と教えられ、一心に励んでいるのに、結構になるどころかだんだん貧乏になっていく。
四郎兵衛先生もついには心が折れそうになったのだとか。

そんな中、子供の身上から、次のようなおさしづをいただく。

内なる処判然として、道が付いているようで、判然とせず、判然とせぬようで、道が付いてあるのやで。さあこうしたなれど、これではと思う心で居ては、道にのために尽くした事が薄くなる…

おさしづМ20.9.6

貧乏になる。
生活が苦しい。
本当に道は発展しているのだろうか?

現象面だけを見ればはっきりわからず、不安や迷いが芽生える中でも、「道はついているんだよ」と神様が励ましているようにも見える。

見えにくいところで、梅谷四郎兵衛の先生の苦労は、道の発展へと結実していく種となっている、だから先は楽しみが待っているから、「でも…」とか「これからどうなるんだろう…」という、たとえいっときでも先を案じる心でいると、せっかく尽くしたものが薄くなっていく、とそんな戒めを神様は仰っているのかもしれない。


これらの話に触れ、感じたのは、道を通るおたすけ専念者が「生活面で苦しい…」「困った、これからどうしよう…」こういう局面に向き合う時、実はもう間もなく道が開ける前兆なのではないだろうか?

天理教教祖伝逸話篇171「宝の山」という逸話がある。

教祖のお話に、「大きな皮に橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば宝の山に登って結構なものを頂くことが出来る。けれども、途中まで行くと橋杭がないから揺れる。そのために途中から帰るから宝を頂けぬ。けれどもそこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと宝の山がある。山の頂上に登れば、結構なものを頂けるが、途中で険しいところがあるとそこから帰るから宝が頂けないのやで。」とお聞かせ下された。

稿本天理教教祖伝逸話篇より


「あぁ、金銭の工面が苦しい…」と感じる場面、まさにこの「途中の揺れる橋」「途中の険しいところ」を通過している真っ最中なのではないだろうか?

そこを踏ん張って通った深谷先生も梅谷先生も、その後間もなく次のステージに向かって景色がひらけたところを見ると、私はどうもそんな気がしてしまうのだ。


続く




おまけ

20代の頃、バリバリ戸別訪問しまくっていたわたくしピーナッツ。
そういう時期、一方で経済力のなさにけっこうしんどい思いをしていました。

ある青年会総会のためおぢばがえりをした時、詰所で青年会で飲み会をやるぞー、となった。会費は500円でいいよ、と。

当時は、その500円が出せなかった…😢

お金に余裕がないと先輩に言えば「いいよいいよ」と飲ませてくれることはわかっている。だけど、それって違うんじゃないかと思っていた。それは甘えだし、布教に心を込めたい人間がそういうことに甘んじるのはおかしいと思い、飲み会をしている面々に見つからないように、用事があるふりしてどこかに身を隠していました。

そんな時期があった…。
いまとなってはそれも通って良かったなと思っています。

おかげさまでいまはもう、そういう段階ではなくなってしまったので。
するべき時期にするべき苦をしていたような気がします。


ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回に続きます(^^)


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