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26.それは誰の声

これは教祖130年祭当時の随想です。現在の私のスタンスとは異なりますが、そういう時期もあったなと回顧しつつ書いています。


年祭活動が始まってから、雪の降らない時期に限定して、

“毎日布教実働”
“毎日おさづけの取り次ぎ”

に個人的に励んでいる。
とはいえ、戸別訪問の継続はやはり難しい。

今のところ、息子の保育園のお迎え時間の直前に数軒、上級教会の月次祭の後は、おつとめ着を脱いで着替えてからその周辺を数軒、こういう感じでわずかな時間の隙間を縫ってどうにか切らさず続けている。

春から秋までの期間は『毎月戸別訪問千軒』を目標に、誠錬寮の布教寮生さん等にライバル意識をもってモチベーションを維持している。

中にはそんな私のなりふりかまわぬやり方を見て、

「ピーナッツくん、信仰する上で大切なのは数値目標ではないよ」

と、とある教会長さんなどからそんなご意見もいただいたりする。

“大切なのは数ではない”
…ごもっともだと思う。
いずれはもっと中身を大切にし、数の積み重ねにこだわらない在り方へと成長していけたらいいと思っているけれど、だけど今はまだその時ではない。

まもなく20代を卒業するけれど、まだまだ若く体力が充実しているこの時期は、徹底して無駄同然の数の積み上げをすべき時だと私は信じて疑わない。

他日、大きな困難にぶつかる日を迎えることがあったなら、この時の積み重ねと種蒔きが、私の背中を支えてくれる確かなものになってくれているだろうと願って。

…なんて、これだけ息まいておきながら、それでもふとしたことで、簡単に迷いが生じたりもする。
もしかしたらまるっきり見当違いなことをしているんじゃないかという不安に襲われる時もある。

わからない。
けれども、やるしかない。

そうやって懸命に己を鼓舞しながら歩いていた。


声がきこえる

そんなある日の戸別訪問中のことだった。

初めてお会いした老女性に玄関先でおさづけを取り次がせていただく機会があった。
私はいつも通り彼女の悩みだという手首の関節痛におさづけすると、その老女性は怪訝そうな表情を浮かべ暫く押し黙っていた。
そんなことよりも、いつになく両掌が熱く火照るのを自覚した私は、終わった後もじっと自らの掌の内側に視線を落としていた。

熱い。じんじんする…。


「どうした? なにかあったのか?」

黙って掌を見つめていた私に、彼女が口を開く。

あっ、いや、いつになく掌の熱気が冷めないんですよ。いつもこうやって熱くはなるんですけど、今日はいつも以上に…(=゚ω゚)ノナンデ

そう返すと、彼女はなにかに気づいたような反応を見せ、

「そうか…わかった」

そう言い残すと、スッと立ち上がって家の奥に行ってしまった。
戻ってきた時には財布を手に持ち、そしてその中から一万円札を取り出しては私にそれを差し出した。

「もってけ」

予想外の展開に驚くピーナッツ。
わけがわかりません。

え、どうして…と問うと、老女性はこう続ける。

「あんたが私を拝んでいる間、私の耳元にずっと声が聞こえてきたんだ。“この人に一万円わたせ”と何度も。本音はいえばわたしたくなかったから、幻聴が聞こえたんだと躊躇していたけれど、あんたの手が熱くなっていると聞いて、ああやっぱりさっきの声は本当なんだと思った。だから持ってけ、ほれ」

理由を聞いて、ドッテンするピーナッツ。

すったもんだあったけれど、結局受け取りました( ´∀` )
だって一万円もらったら嬉しいし。


帰宅後、赤子だった次女に添い寝していた妻に、

なんか知らないけど、(経緯を説明し)それでこれもらったよ、とその一万円を妻に差し出すと、

「えっ、マジ? やったラッキー!」

とめちゃくちゃ喜んでました。(ノリは軽かった)


…とまあ、こんな不思議なこともあった。
一体、あの時の声とはなんだったのでしょう。

後日、その老女性宅を再トライすると、

「いや、もう来ないでね(^_-)」

と、あの日の一万円を手切れ金のように私はやんわり追い返され…。

そんなこともあった、というささやかなエピソード。
こんな感じでめげずに今日も歩く、歩く。

【2013.6】



ほんとに、あの声は一体誰だったのでしょう。
一万円ゲットできたのでたすかりましたけど。
後で聞いたら、妻はその頃、ちょっと物入りだったようで、突然の臨時収入にけっこうたすかったんだそうです。
神ですね。ハイ。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
それではまた(^^)

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