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86.“真っ直ぐ信じる”ということ

戸別訪問していたある日、家の玄関の表札を見ると『キャノン』とカタカナで書かれていた。

あれ、ここ会社かな?

なんて思いながらインターホンを押すと、中から出て来たのは50代半ばぐらいの巨躯の白人男性だった。表札通り、そこはキャノンさん(仮名)のお宅だったのだ。


彼はプロテスタントの一派・バプテスト教会で牧師をされているアメリカ人だった。天理教です、と私が名乗ると彼は自宅の中に招き入れ、しばらくそこで信仰討議を交わす。キャノンさんは聖書を開いて自分達の教えやカトリックとの違い・そのスタンスを親切に解説してくれた。日本語のお上手な彼。

私の信じる教えと、あなたの信じる教えは根本から異なるものだけれど、それでも、話し合いを重ねて歩み寄れやしないものでしょうか?

そうピーナッツが問いかけると、彼はこちらの話に相槌を打ち耳を傾けつつも、

「私達ノ信仰ハ、アクマデモ聖書ダケヲ規範トシテイク教エダ」

と答える。残念だが、他宗教との歩み寄りが為に教義を曲げることは出来ないのだと、その点は頑なだった。



それから暫く経ったある日、またキャノン牧師のお宅の前を通ったので再び対話を試みようともう一度訪ねる。するとこの日はキャノンさんはお留守で、代わりにその奥さん(彼女は日本人。キャノンさんに導かれて改宗・入信したのだという)が出て来た。

興味本位でご主人と話がしたくてやって来たと伝えると、

「あら。そうしているうちに、お宅の信じている天理教よりもこちらの教えが素晴らしいと感じるようになってしまうかもしれませんよ?」

なんて不敵な微笑みを浮かべて語る彼女。

そんなさも自信あり気な物言いに、思わず無言で苦笑するピーナッツ。

玄関口で少しだけ彼女と意見交換し、キャノンさんに問いかけた「歩み寄り」の話題をふると、やはり彼女もまた、

「聖書に書かれていることが全てです。申し訳ないけど、そうでないものは受容できません。そこは妥協できないですね」

といった旨の見解を彼女は口にする。


まっすぐな信仰、簡単に答えのでないもの

キャノン牧師夫妻との遣り取りを通して、私は、ある名もなき若者が語っていった印象深い言葉を思い起こす。

それはNHKで放送されている、ある特定の場所を丸3日間にわたって定点観測し、そこに映る風景や、訪れる人にスポットをあてる番組「ドキュメント72時間」の中のワンシーンだった。

2015年夏、国が特定秘密保護法の法案成立に向けて動き出している中、夜な夜な若者達が国会前の路上に集合して群れをなし、盛んに声を挙げてデモを繰り返していたその一場面でのこと。

頻りに騒ぎ立てるデモ群の中心からひとり距離を置いてじっとその様子を眺めていたある大学院生の姿があった。撮影クルーはデモをしている若者達と明らかに波長の異なるそんな彼の存在に気づいてカメラを向ける。

国が大きく転換していく時代の空気を感じたくて、その場所に足を運んできたのだという彼。そしてこう語る。

「ここをずっと回ってたりするだけでも、色々な思いで活動している人がいて、良くも悪くも真っ直ぐになってしまうと色々なものが見えなくなるので、良いか悪いかに左右されてしまうけど、そういう答えの出ないものを感じたい」

ドキュメント72時間


何故だかその若者が言っていたそんな言葉が放つ不思議な余韻が、キャノン牧師夫妻と試みた対話との、対照的な何かを私の心に問いかけてくるような気がした。

“真っ直ぐな信仰”とは何なのだろう…?

静かに、いつまでもそう自問している。


【2016.9】




ここまで読んでいただきありがとうございました。
それではまた(^^)

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