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41.ゴミ拾いの奥深さ

ゴミ拾いのことを“お徳拾い”“お徳集め”だと言っているお話を耳にした。

何故なら、ゴミを所定の場所に捨てずにポイ捨てしたり、あるいは分別を無視し後で他人の手を煩わすようなゴミの出し方をする行為は、自分の持っているお徳を一緒に捨てて歩くことと同じだからだという。

つまりゴミとは、“ゴミという形をしたお徳そのもの”なのだ。

もしも本当にそうであるならば、ゴミ拾いとは、誰でも気軽に実行することのできる、いたるところに散らばっているお徳を拾ってGETできるお得なひのきしん実践だといえる。


上田嘉世本部員が2014年の青年求道者講習会で次のようなことを言っていた。

神様の教えをしっかり守ることによって、神様が胸の掃除をしてくださるのです。神様の教えはどれ一つ取っても、それは胸の掃除に繋がりますが、中でも最も具体的で確実に効力があるのはおつとめと、実際にどこかを掃除することです。
 おふでさきに、
 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや
                        (三号・64)
とあります。これは「三六二五のくれやい」、すなわち立教36年目にあたる明治7年某月25日の夕方に、お屋敷へ信者さんがやってくることを予言されたおうたです。信者さんがお屋敷周辺を見渡すと、明日は26日だというのにゴミがいっぱい散らばっている。これでは申し訳ないと思い、一生懸命に掃除をしたその人の胸を、神が掃除してやろうというのです。
 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
                        (三号・40、135)
と仰せられていますから、道路のゴミを拾うのも、公衆トイレを掃除するのも、どんな所を掃除しても、神様のお身体を掃除させてもらっていることになります。どこを掃除しても、その掃除をした人の胸を、神様が掃除してくださるのです。

あらきとうりょう254号より


ゴミ拾いも広義での“神の身体の掃除”だと捉えれば、真剣にやってみると神様がそれを行った人の胸に積もっているほこりを掃除してくれる、という解釈もできる。となれば、


ゴミ拾い=胸のほこりの掃除
     落ちている徳を集めて貯蓄


という風に、一石二鳥のひのきしんと考えてもいいわけだ。
それなら何だか本当にお得感が増して来る。


他人の後始末は絶好の機会

稿本天理教教祖伝逸話篇144「天に届く理」は大変有名でおそらくほとんどの方が知っているだろうし、何かにつけて引用されることの多いエピソードだと認識している。

どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様は受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどいを何ぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。

稿本天理教教祖伝逸話篇144「天に届く理」より抜粋


この鴻田忠三郎先生が監獄のトイレ掃除の下りでおやさまがおっしゃっていたお言葉には、続きがあるということをご存知だろうか?


又何でも人の尻を拭く心になって教会でも事に当たりて其の場の後始末するのが一番神様が結構に受け取り下さるのやで。

鴻田忠三郎伝より抜粋

何事でも人の尻をふく心になって通れ。教会の御用でも事にあたってその場の後始末をするのを神様は一番受け取ってくださるのやで。
                         鴻田忠三郎

金子圭助著「光る言葉」より


おやさま御在世時に“教会”というワードを用いるのだろうか? ということを考えると信憑性に疑問は残るものの、おそらく大体それらしいことを実際に鴻田忠三郎先生はおやさまよりお言葉を賜ったのには違いないだろう。

肝心なのは、“人の尻を拭く心”で行うこと、“人の後始末”をすることを神様は一番に受け取って下さるということだ。
これ、何気なく語られているが、この教話に触れた当時はかなり重く、そしてなにか勇気をもらうような心地で感じていた。

月次祭の直会の片づけはちょっとしたひと手間だ。
大教会でも詰所でも、集まって飲食を興じる場が設けられれば、青年会の若手の方なんか最後の最後まで後片付けが待っているから早々には抜けられない。時にはそれが億劫に思えることもあった。

そんな雑用と思えるような時間も、未熟な若い者には絶好の徳積み、神様にちゃんと受け取ってもらえる時間を積み重ねていたんだと気づいて、嬉しかったことが記憶に残っている。

以来、後片付けの機会をいただくと、それ自体がラッキータイムのような印象に180度グルリと変わった。
“トイレ掃除が一番の徳積み”という考えにも通底し、改めてうなづけるようになった。

人の尻拭き。
人の後始末。
ゴミ拾い。


簡単なようで、些末なことのようで、実のところ本当に奥が深い。


【2014.6】



夏休みに入り、バスケ部で頑張っている次男とそのお友達がやって来て、部活が始まるまで彼らの面倒を見ていました。

「体力もたなくなるから、部活に送る前にそうめんゆがいて食べさせて」

と妻から遠隔指令を受け、慌ててそれをこしらえます。
こども等がゲラゲラ笑いながらそれを食べ散らかし、早々に体育館に彼らを送っては、また戻ってきて、その食器を洗いながら、ふと、今回のnoteの教話を思い出していました。

熱中症を心配して、彼らの体調管理に細かく気をつかっていた時間も神様はちゃんと受け取って下さっていますよね?
(みんな元気なんだけど後先考えないから大変なんだよね色々(;´・ω・)…)

この北の地にも、耐えられない暑い夏がまたやってきています…。


ここまで読んでいただきありがとうございました‼
それではまた(^O^)

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