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「楡家の人びと 第二・三部」北杜夫

 第一部では、院長・基一郎の死に私は不意を突かれ、そのあっけない終わり方がますます第二部以降の楡一家、楡病院の行方に対する私の関心を高めたのだった。
 そのような期待を持って第二部を読み進めた。予想としては基一郎に代わって徹吉が院長となり、あるいはそこに龍子も存在感をさらに増して、新たな楡病院の物語が語られていくというものだった。しかし、そうではなかった。つまり、本書は病院の物語というものではなく、この一家周辺の人物についていろいろと語られていく、まさに楡家にまつわる「人びと」の物語であることに改めて気づかされたのだった。時代は戦時下に入り、そこでは病院経営もままならないという状況も影響していると思うが、私としてはやはり「楡病院物語」を読みたかったという気持ちが大きい。第一部の基一郎を中心に展開される、楡病院を舞台とした職員や患者、そして家族の関わりがとても面白かったのだった。
 第一部でこのように巧みさを発揮してくれた人物描写は第二部・三部でも続いたが、ここではその描写の妙が人物の気性よりも対象に向かってしまっている感が強く、文章が冗長に感じるところが多かった。徹吉の精神医学、峻一の飛行機、城木の戦艦上の生活、米国の召集・戦地の様子等々、その多くが単に状況説明的な文章に思えてしまい、この点は第一部と二部・三部との違いとして私の読み応えに影響した。
 また一方、「奇人ぞろい」と評された楡家の人びとの様子は相変わらずといったところであり、さらに言えば基一郎がいなくなったせいなのか、単に時代の経過なのか、ますますこれらの人の嫌な感じが強まっていった。そのため、例えば桃子が不遇な目に遭っても、決して気の毒に思う感情は湧いてこなかった。そんな私の気持ちを察するかのように、姪っ子の藍子は「いやな叔母さま」と呟くのであった。この瞬間、それまで物語の世界に没入していた私の気持ちは、本書を読んでいるという現在に引き戻され、北杜夫は上手く書くなぁと今度は私が呟くような感じとなった。
 基一郎の長男・欧州の嫁としてこの一家に加わった千代子の目にも、なんだかへんな家だ、おかしな家だ、とやはり異様に映っている。「どうもこの家では親子兄弟がてんでばらばらに生存しているようで、その一人々々がまた一風変っているように思われた」という観察に楡家の実態が集約されており、ここでもまた私の気持ちを代弁してくれるかのように登場人物が語ってくれたのだった。
 院長・基一郎が亡き後、第二部・三部では代わりとなる主人公がいない状況で様々な人びとの様子が並行して語られていくが、強いて言えば「楡基一郎の亡霊の支配」が主人公として、通奏低音のような存在感をもって物語が描かれたとも言えるだろうか。第三部の最後に、龍子が夫と三人の子供を見限る場面がある。基一郎の血を受け継ぐことを最も意識していた龍子が、結局はやはり、この先の楡家の期待となることを予感させたこの終わり方は、血というもののしぶとさ、強さを感じさせるものであった。


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