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「方舟」夕木春央

 本書は2023年本屋大賞にノミネートした作品である(残念ながら大賞は逃した)。著者はインタビューで、「ミステリー好きに向けて書いたものなので、本屋大賞という幅広い読者に読んでもらえる賞にノミネートされたのは望外の喜び」と語っている。(好書好日 2023.04.12 https://book.asahi.com/article/14876905
 もちろんミステリー好きからも、「2022年週刊文春ミステリーベスト10」第1位、「2022年MRC大賞」第1位、等々しっかりと高い評価を得ている。
 本書の舞台は長野地方の山奥にある地下建築物。ただし、どの地域であるかということは読み進めてすぐに忘れてしまう。物語のほぼすべてが地下建築の中での出来事であるからだ。
 登場人物は全部で13名。それぞれの関係やおおまかの年代、性別、職業は説明があるものの、それ以外はあまりわからない。他の小説だと、話の途中々々でどのような人物像であるかという描写が時折挿入される例もあると思われるが、本書ではそのような記述は無駄と思われるほど、省略されている。
 そのように、とにかくこの地下空間で起こる出来事にのみ集中して、文字が費やされていると感じた。
 だから最初の殺人も突然であった。どのような人間関係があるのか、各人の本性はいかなるものか、情報がないまま事態が動く。こうしてこの小説世界に引き込まれていくという感じだ。過度な装飾や読者を徒にあおるようなところがない文体のシンプルさと、唯一の舞台となっている地下建築の中という殺風景さとが相まって、「これほどまでに不気味な時間」「それだけ特殊な状況」というものが描かれ、読者にぶつけてくる。
 どの登場人物にも感情移入の起きないまま、俯瞰した目線で空間を動くコマのような感じで各人の動きを追っていったような感じだった。ミステリーをあまり読まないので、そもそもミステリーとはそういうものなのかもしれないが、人物よりトリックにとにかく意識が向いた。ラストの展開も、そうきたか、と驚かされた。個人的には後味が悪いが、これもまたミステリーというものなのかもしれないと思った。


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