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「静かな爆弾」吉田修一

 今回は、吉田修一の少し古い作品を取り上げる。本書は2008年の発行で、2006年に中央公論に連載されたものをまとめたものである。
 主人公は、30をちょっと過ぎたあたりの「俺」。仕事はドキュメンタリーの制作をしていたが、バラエティ担当に異動になり、そのことを不本意に思っているらしい。そして、今もドキュメンタリー制作に関わり続けている。社内的には「兼業」ということになっているようだが、ある種“放置”されている雰囲気も感じ取れる。
 冒頭、「俺」は公園で響子と出会い、付き合い始める。二人が付き合っていく中で描かれる気持ちの肌触りみたいなものに、どう自分の感情が反応するか、という読書体験になることを想像しながら読み進めたのだが、そうはならなかった。
 全体的に「乾いている」という印象を受けた。登場人物の感情の湿り気が感じられなかった。これは、要は「俺」の感情が乾いていることの反映といえるか。「俺」の生活は仕事中心で時間に忙殺されている。響子にメールする時間さえ取れない。電話ならまだしも、その気さえあれば一言メールするくらいの時間はあると思えるが、その時間の優先順位を低いものと「俺」は判断しているのだ。以前の恋人とも、仕事が忙しくてようやく会えて嬉しいのに、仕事の疲れとやりがいを自己正当化し、それを理解しない恋人にいらつき、そのまま別れてしまったという経験もある。
 響子は耳が聞こえない。声も発することもなく、そのため「俺」との会話はメモのやり取りだ。本書は「俺」目線の文章で書かれているので、読者は響子の深い気持ち、感情の動きもわからない。そしてつまり、これは「俺」も同様なのだ。「俺」は、時折逡巡はする。でも、響子にきちんと確認しようとはしない。だから読者も「俺」も、響子がどう思っているかよくわからないまま、ストーリー(時間)は先に進む。私は、響子にも「俺」にも感情移入できないまま、「俺」の乾いた感情を客観的に見続けることになった。
 前の恋人は、口論の後、何も言わずに部屋を出ていった。響子も、理由も告げずとつぜん連絡が途絶えることになる。彼女たちにとっては、とつぜんではなく、明らかな理由があったのだろう。ただ、「俺」にはわけがわからない。女というものは、人というものは、よくわからない、という思いを人と会うたびに強くしていくのだろう。
 そして「俺」は、相手の気持ちがよくわからないまま、自分の気持ちをとにかく伝えようとする。
 響子に一度、一緒に暮らしたいという気持ちを立て続けにメモに書いて、思い切って伝えたことがあった。その時響子は、少し時間をくれという返事を返した。その後このことについて響子と話そうとしていない。
 また、一週間以上連絡が途絶えていた響子からメールが届いた時、響子が質問したことに対して「俺」はそれには直接答えずに、「会いたい」という文字を打ち込んだ。
 常に「俺」は自分の言いたいことを伝えるという気持ちが強く、相手の話を聞くという思いが欠けている気がする。「会いたい」という言葉は、言われれば嬉しいと思う。でもこの時は、質問に答える言葉が見つけられずに行きついたものである。何か一方的な印象を持った。 
 ここまで書いてみて、「俺」の仕事の向き合い方については対照的なことを同僚から指摘されていたことを思い出した。「他の人は、知ろうとしているんじゃなく、伝えようとしている。お前は、子供と一緒で、誰かに伝えたいと思って木に登るんじゃなく、ただ、知りたくて登るんだ」と言われているのだ。
 仕事と、プライベートでの人との向き合い方のギャップ。ちょっと皮肉というか、悩ましいなぁと思った。


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