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聖なる導きと共に 聖観音

リーディングマスター・まさみちです。薬師如来十二神将と立体曼荼羅と二十八部衆の千手観音を紐解いて、やれやれといった感覚です。仏像多すぎと思いつつ、それぞれ役割や意識の繋げ方が違うみたいなので、どう違うかを検証しつつ、こんな風に繋いでみるといいよとワークを紹介していたりします。うまく繋がれば超絶お得のあるものですし、先に心の浄化を果たさなければならない人もいるので、読めない人はセッションをオススメします。(79/88)

六道に相当する六観音のうち、千手観音が終わりましたので、聖観音を紹介します。

地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音、という関わりです。

よく解らずに解説していましたが、「餓鬼道」を救うのが千手観音だったようで、感覚的には、この千手観音で全部救済してしまえそうな勢いを感じておりました。といっても、自分の生み出した最愛者講座の部分のみが千手観音の領域なので、別の領域は別の意識の繋げ方があるらしいので、見ていきたいと思います。

聖観音(しょうかんのん)は、「良い心がけをすること」でありつつ、「自分以外を信じ切ること」が一つの指標となります。

地獄道に墜ちている場合の、救済方法は「他人を信じ切る」という大変難しい課題があります。この裏にある文脈として「裏切りに合うなら刺し違えても良い」という物騒な解釈が存在することを伝えるものです。

右も左もわからない状態にあるとき、他人の優しさだけが救いの道であるものの、人の信頼を逆手に利用し、搾取するような人がいるなら、それはとてつもなく非道な人です。

ただ、他人を信じ切るという行為はエゴが強いほど出来ないものです。

故に地獄の学びになるのですけれどね。

人を疑い出したらキリが無いものです。

聖観音という仏性と繋がり、どう信じるかが不信感の塊になっている存在としては知りたいところです。

聖観音「よくよく話しを最後まで聞き続ける」仏性があります。

マイナス感情・ネガティブ発想の状態においても、ガチで最後まで付き合うつもりで、悪態をつく心や、不満をぶちまける心との対話をすることです。

ただ一つだけ、ルールを設けて欲しいのが「同じ言葉を二度使わない」ことです。

「あいつめ、死ね、死ね、死ね、死ね、死んでしまえ!」

等という誹謗中傷の言葉を思いつくのは良いですが、聖観音に聞いてもらうには「あいつめ、死んでしまえ!」で終わりです。他に悪口を言いたいなら別の表現を使うことです。「殺されてしまえ!」「突き飛ばしてやる!」など、言葉をループしないこと、繰り返さないことが大事です。

この、「同じ言葉を二度使わない」ルールは、頭を使うことになります。

頭を使い始めると、悪口を言いながら、「もっと酷い言葉はないか?」と考えながら言うようになります。

続けて行く内に、どうでも良くなる感覚まで回復して来ます。

それを途中で投げ出させずに、「もっと悪口言おうよ!」聖観音は誘うのです。

「もう、スッキリしたからいい」

と、終わらせようとする時に、「逃げるな!」聖観音からしたら、さらに「悪態をつかせようと脅迫させる」のです。

精一杯悪口を考えつかせることです。

何もかも言い尽くしたとき聖観音の仏性からも「なくなりましたね」となるので、やってみることです。出し尽くすのも難しいものですが、出し尽くす発想を受容すると、悪態や悪口に対して聞いてくれる「聖観音」という存在の仏性が自分の中にあるとわかることが大事になります。

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「聖なるもの」という意味や定義は、「より悪しきものと同等に相対するより良きものが存在すると解っている無意識があり、それに従うことで導かれる先があると知っているもの」となります。「どんな時も、必要となることだけ行っており、選ぼうとしてもしなくても、進むべき先が見えずとも歩めているもののこと」です。

「綺麗なトイレ」「汚いトイレ」があるなら、どちらが好むのか健康であるならわかることを指します。感覚で選べなくなっていても、考えて答えを導き出す必要がある時など、「状況から判断して、こっちが答えだな?」とわかる答えで良いというものです。

汚部屋に住んでいたり、セルフネグレクトなど、自分自身を大事に出来ない人は「汚いトイレを選びます」と気持ちで答えることがありますが、話の流れや、一般的にみんなはどちらを選ぶのか想像するとどちらか? と問うなら、気持ちを無視して「綺麗なトイレと言えばいいんだろう?」と、判断がつくことがあります。

これが仏性を信じることに繋がり「聖観音」対話する道のりの始まりになります。

悪態や悪口の心の声を最後まで聴き続けることが出来るのは、「汚いトイレ」を掃除して「綺麗なトイレ」にしていく過程のようなものです。

自分の中から湧き上がる「悪口」を、吐き出して良いと許す作業は、その後に「片付ける」ことを受容していなければ出来ないからです。

まず、「悪口」を正しく言い切る形で吐き出すことが出来ると、気持ちが楽になります。それが何より大切なことです。

マイナス感情・ネガティブ発想の問題点は、そこから抜け出すのに「瞑想」「ヒーリングワーク」など、ハードルの高いことを示されてしまい挫折してしまうことがあるのです。

愚痴や文句や不満を吐き出すことなら、平気でできて、更に全力でぶちまけていいというのは、気持ち的にも楽になり、「言ってやれ!!」悪意になることを許されると嬉しく感じたりするのです。

それで良いので、一人の時間に、自分だけが解るように気持ちを吐き出してみることです。

自分が抑圧されていたことがわかると思います。

ワークを教えます。

聖観音を天高く、自分を地深く沈めて両者の意識が繋がり結ばれているのをイメージします。「何故、こんなにも嫌われているのですか?」と、問いかけ、湧き上がる気持ちを聖観音に聞き入れてもらうことを続けます。問いかけるものと、得られた解答が充分なものとなれば、満足感が得られ終わります。

この逆の方法もあります。

自分を天高く位置し、聖観音を地深く沈めて両者の意識が繋がり結ばれているのをイメージします。「どうのようにして、人の話が聞けなくなっているのですか?」と、問いかけ、湧き上がる気持ちを聖観音に聞き入れてもらうことを続けます。終わりを感じられればそれで良いです。

同じように右横、左横に聖観音をイメージし、「伴侶の意見を聞けなくなっているのは何故ですか?」と問いかけることや、聖観音に取り囲まれているのをイメージ「家族の意見を聞けなくなっているのは何故ですか?」と聞いてみると、意外なものが見つけられると思います。

聖観音がイメージし辛いようであるなら、「憧れのあの人」で構いません。

「憧れのあの人」なら絶対言うことを聞いてしまうと想像できるなら、それで良いのです。悪口にも嫌な顔をせず、付き合って聞いてくれる存在であるなら、二次元のキャラクターであっても良いのです。自分の受け入れられるものから取り組めば良いのです。

どこにでも仏は存在しており、助けてくれているのです。

何よりも自分自身が、自分を助け出そうと頑張っているのです。ただ、それがわかりにくくて捉えにくくて、どうしていいかが見つけられないだけなのです。

圧倒的なストレスの分量を祓い清める力が必要なのですが、溜め込んだ自分のストレスを自分自身が見たくもないものでもあるのです。それでも理想のキャラや、憧れのあの人付き合ってくれるのです。それが聖観音です。

あなたが自由に想像デザインしたキャラクターで良いのです。仏像など、造形物はまさに魂が宿っている仏師の分身であるのです。作り手が、「こんな仏がいてくれたら、助かるのになぁ」夢を見ているようなものです。

ただ、その夢がリアリティを持ち、現実に自分が想像する閃きの中で助け出してくれる切っ掛けとなり、見失っていた自分を見つけてくれるものとなるのです。

どれだけ見捨てられてきても、聖観音は見捨てずに面倒を見てくれるのです。それはまさに理想そのものの姿であるので、その姿での誘導なら言うことを聞いてくれるのです。

何一つ意見を言わず、何も道を示さず、どこまでも付き添ってくれるだけの存在なのです。苦しみも哀しみも全部側に居て聞いてくれていると解った時、一人ではなかったと気づけるのです。

「これのことだ」

とわかるのは簡単です。この身体が聖観音の一つです。理想型のキャラや憧れの人でなくても、一切離れることなく生涯付き添ってくれる存在が身体です。

心と身体は離れることのない一つの存在です。

意識を身体にフォーカスして、今を体感すると抱えていた苦しみや哀しみに触れることが出来、どれだけ身体に負荷を背負わせてきたと感じられます。

この身に「ありがとう」と伝えてみてください。

身体から返事をイメージしてみてください。

真理の学びが始まります。


いかがでしたでしょうか?

では、また。

リーディングマスター・まさみちです。


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