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心の魔物について。

リーディングマスター・まさみちです。心理カウンセラーをしており、親子関係や夫婦関係の問題から、目に見えない物事のトラブルも対応しております。

心には「善の心」や「悪の心」などと、良い面もあれば悪い面もあるものだと教わり、自分同士でせめぎ合う「悩み」として葛藤することなどがあります。

色んな解釈や、立場や意識の持たせ方によって引き起こされる現象は変わるものですが、大体は「選択の連続」とも称されるものです。

Win & Winの関係や、困難に飛び込むようにしているなど、前向きで生きることを促すアドバイスがあります。

そう教えられても魔が差すなど、「言わなければいい一言」など、自分が損をすることがわかっていたとしても、耐えられずに言動となって現れる衝動というものがあります。

この加害者や被害者の関係性をリーディングで読み解くと、「気づかなかった!」という関係性や、真因となる物事が見えてきて「納得するしかない!」体験を起こせるものです。

「魔に取り憑かれる」

などと、自分の価値観や信念にハマると、「損する道を選ぶ」ように見えて合理性のなさを周りが感じることがあります。

「正気に目覚める」

などと、周りの人々が「魔に取り憑かれている」場合、「もったいないこと」を選ぶように見えて、常識的には考えられないことをすることがあります。

どちらも、周りには理解されない姿で出て来ます。

周りの理解が得られずに、成功する人もいれば、失敗する人もいます。

一体、魔とは何か? 

それは自我によって判別が可能なのかどうか?

それを考えると、自我による「魔」の識別は不可能です。

といのも、「自分の問題だと知っています」「私が悪いのです」と言っている場合、識別が出来ていると思えるかも知れませんが、それを改善に到っていれば「自我」で識別した訳ではないのです。「真心」で識別しているのです。

自我にも二種類あり、愛に帰還できる自我と、嘘故に消滅する自我と、簡単に分類すると二パターンがあります。

頭のお喋りでもある「魔」の存在は、「否定ばかりしかしない」存在でもあります。「否定から肯定に変えられる力」がある場合は、「魔に取り憑かれること」はないです。

魔は不安を煽り、心配を加速し、未だに起きてもいないことを気遣うことばかりで出てくる為、側にいる人に対して攻撃的な姿で関わることがあります。

「文句しか言わない」

「代わりを望む(他の誰かさんなら良かったのに)」

「卑屈さしかない」

「悲観ばかりする」

「相手の良心に付け込んで悪い言葉をよく使う」

などと、魔は饒舌であることもあります(無口もあります)。

解決方法の一つは、「ありがとう」と、心の領域の全てから伝えることをしてみることです。

「文句しか言わない」→「ありがとうが出てくる」

「代わりを望む(他の誰かさんなら良かったのに)」→「ちょっと楽しい、と笑う」

「卑屈さしかない」→「嬉しくなる」

「悲観ばかりする」→「励みになる」

「相手の良心に付け込んで悪い言葉をよく使う」→「魔が消失して、動き出してみる」

などの変化があるものです。

自分を信じられなくても、魔から届けられる不満などの悪想念のお喋りは、誰もが信じてしまうものです。

それでも、その魔を見つけられるなら、徹底的に追い詰めて見せることが一つの方法論です。

魔は一切の役立たずであることを証明されると存在出来なくなります。

頭の中の雑念などは、心を清められる力を持つ人はに瞑想などを通して消してしまえるものです。それでも、魔を消す知力は大切なもので、受け継がれた方がいいものですが、魔を退ける為に魔が喜ぶ「否定」を使ってしまう難点があります。

ここで深く洞察する力が必要となるのです。


まとめ
とは、「正常な判断を異常であると判断してしまうこと」「喜びを哀しみ、楽しさを疎ましさに変えてしまうもので、正しい表現方法を身につけさせぬこと」となります。

自我で自我を判別できな為、真我から自我を見つめ、自我を統合させていく必要があります。

この意識の反転を身につけられると、「心が開いた」とも言うべき体験が出来ます。


困難な概念が存在していても、解き明かせる道があると信じてください。


では、また。

リーディングマスター・まさみち。



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