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今井雅子作「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」中原敦子作「通りがかり」バージョン

新年朗読初め2023 プロデュースbyうっかりBAR

2023年1月8日。
ナレーター・下間都代子さん主催の「朗読初め」の朗読会が、大阪某所で行われました。
この朗読会では、脚本家・今井雅子先生がこの会のために書き下ろされた作品を、16人の読み手によって16通りのアレンジが加えられ発表されました。

そして今井先生のご好意により、こちらの作品をアレンジして、
「○○かりBAR」チェーン展開(笑)しても良いとのこと。
但し、

こちらのnoteに公開したオリジナル版と読み手本人によるアレンジ版のclubhouseでの朗読は自由。事前許諾は必要ありませんが、よろしければコメント欄にてルームアドレスをお知らせください。追いかけます。clubhouse以外での使用、replayの外部公開についてはご相談ください。』

とのことなので、
私も、先日音声アプリclubhouseにて、こちらのアレンジバージョンを書いて朗読いたしました。

そして、note に原稿を公開いたします。
ちなみに、
実体験を元に書きました。
今から1年半ほど前の出来事なので、記憶も薄れてきていて、
正確に再現できずフィクションが混じっている箇所もあろうことかと思います。


今井雅子作「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」

     中原敦子作「通りがかり」バージョン



名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこに人の姿はなかった。だが、道端に置かれた小さな看板が目に留まった。チョークで手書きされた頭の文字のいくつかが消えている。

残されているのは、ひらがなの「か」と「り」とアルファベットのB-A-R。

消えた文字を想像してみる。なぜか「通りがかり」が思い浮かんだ。

通りがかりBAR」

口にしてみて、笑みがこぼれた。そんなBARがあったら、どんなお酒を飲ませるのだろう。誘われるように地下へ続く階段を降りて行く。重みのあるドアを開けると、カウンターの向こうにマスターの顔が見えた。どこかで会ったことのあるような顔立ちに柔らかな表情を浮かべている。

「お待ちしていました」

鎧を脱がせる声だ。私はコートをマスターに預け、革張りのスツールに腰を下ろす。

「ようこそ。通りがかりBARへ」
「ここって、通りがかりBARなんですか⁉︎」

ついさっき看板の消えた文字を補って、私が思いついた名前。それがこの店の名前だった。そんな偶然があるのだろうか。

「ご注文ありがとうございます。はじめてよろしいでしょうか」

おや、と思った。マスターはどうやら他の客と私を勘違いしているらしい。

人違いですよと正そうとして、思いとどまった。その客は、ある程度、私と属性が共通しているのではないだろうか。年齢、性別、醸し出す雰囲気……。だとしたら、注文の好みも似通っているかもしれない。

「はじめてください」
「かしこまりました」

マスターがシェイカーを振る音を確かに聞いた。だが、カウンターに出されたグラスは空っぽだった。

「これは、なんですか」
「ご注文の『通りがかり』です」
「空っぽで『通りがかり』というわけですか」
「どうぞ。味わってみてください」

自信作ですという表情を浮かべ、マスターが告げた。

なるほど。そういうことか。

私はマスターの遊びにつき合うことにした。芝居の心得なら、ある。空白は想像を膨らませる余白だ。空っぽのグラスに目をこらし、そこにある「通りがかり」を想像する。さもあるがごとく。さもあるがごとく。

グラスを手に取り、口に近づけたそのとき、「あ……」と声が漏れた。

鼻先を香りが通り抜けたのだ。

ホコリと土が混じる、アスファルトだ。

その香りに連れられて、あの日の記憶が蘇った。


私は急いでいた。

ペダルを漕ぐ足に、交互に下へ、下へと、力を込める。

待ち合わせ場所は、自転車で急げば5分とかからない。
その近いという感覚のせいで、支度がすっかり遅くなってしまった。
待ち合わせの時間の、まさに5分前に時計を見て気づき、慌てて自転車に飛び乗った。
自宅を飛び出し、すぐに幹線道路の歩道へ走り込む。
ハンドルを曲げてから、はっとした。
そうだ、今日はロングスカートをはいてきてしまった。
走りながら下を向くと、急いでこいでいるせいもあり、スカートの裾がひらひらと後ろに舞っている。
朝着替える時に、今日は自転車に乗ることを思い出していれば。
しかし、もう遅い。
とにかく急がなければ。
と、目の前に、歩道をゆったり歩く4人組の若い女性たちの姿が迫ってきた。
自転車は、車道を走らねばならない、しかし、この幹線道路は車の往来が激しく、道幅も狭いので、できれば歩道を走っていたかった。
女性達は2列になって歩いていて、脇を通り抜けても問題なさそうだったが、急いでいる私の自転車が彼女らに接触してはいけない、交通ルールは守らなきゃ、と思った。
女性達のすぐ後ろまでくると、私は少しスピードを緩め、そこから車道へと降りた。
ガタン!
前輪が車道へ降り、後輪もすぐに跳ねて降りると思ったその瞬間、私の視界が直角に曲がった。
ガシャーン!
大きな音が響き、私は自転車ごと倒れてしまった。
あぁぁー、私、こけちゃったの?まぢかー。
上半身を起こし、振り返ると、
ロングスカートの裾が後輪に巻きついている。
そして、
いやーーー!パンツ丸見えー!
慌ててロングスカートを引き上げようとしたが、裾が後輪にがっちり巻きついてしまっていて、
どうやったって離れない、いや、外れない。
最低ーーー!
「大丈夫ですか?」
声のする方を振り返ろうとする間もなく、さっき追い抜かしたはずの4人組の若い女性たちが、私の周りを囲んでいた。
1人が、自転車を起こそうとし、もう1人が私を抱き上げようとしてくれる。
しかし、
パンツ丸見えーーーー!
「あっ、やばい、スカートが破れちゃう!」
彼女たちは後輪に巻き付いたスカートを心配したが、私はそっちよりパンツ見えてる方が重要!
すると、後の2人が私のお尻を囲うように座り込み、「私達が盾になるから、○○ちゃん、スカート外してあげて!」
と、自転車を起こそうとしてくれていた女性に声をかけた。
しかし、後輪はロングスカートの裾を、ほんの一瞬でかなりの広範囲をがっちり噛み込んでいた。
私を抱き抱えてくれていた女性が自転車の方へ回り、私のパンツまで脱がそうとしているスカートのウエストゴムを抑えつつ、2人かがりで、後輪からそっとそっと裾を外してくれた。
「ごめんなさい、スカート、破れちゃったかも」
「いえいえ、とんでもない!スカートなんか、もうどうでもいいです!外して下さって、ほんとにすみません、ありがとうございます!」
パンツ丸見えの私の盾になってくれていた女性2人が立ち上がり、「私達も他人事じゃないですよ、ロングスカートはいて自転車乗る時は、私でもやっちゃいそうです」と、軽く私のスカートのホコリをはたいてくれた。
彼女たちは口々に「お怪我ないですか?」「車道じゃなくて歩道に倒れて良かった」「自転車壊れてないですか?」と、私を気遣う言葉をかけてくれた。
私は、「感謝してもしつくせないです、本当にありがとうございました、助かりました、ありがとうございます、ありがとうございました!」
と、何度も何度も頭を下げた。
軽く手を振った彼女たちの長い髪が、そばを通り抜ける車の風で、とても美しくなびいていた。

「どないしたーん?めちゃ遅かったやん!心配したでー」
待ち合わせ場所に10分以上も遅刻してきた私を見て、友人が駆け寄ってきた。
「自転車でこけてしもて」と、照れ笑いしてスカートの裾を少しまくって見せると。
え゛。
左、膝、流血。
「大怪我してるやんかーー、中原さん大丈夫ーー?」
そこで初めて、私は膝に痛みを感じ始めた。
「骨は?大丈夫?痛ない?手当せんと!」と慌てて覗き込む友人の、メガネのレンズが、とてもきれいに透けて見えた。



香りと記憶がよぎったのは、流れ星が通り過ぎるような一瞬のことだった。手にしたグラスからはもう、なんの香りもしなかった。空っぽになったグラスを置くと、「いかがでしたか」とマスターが聞いた。

「ほんとに、あれは、『通りがかり』でした。今の私に必要な。マスター、どういう魔法を使ったんですか」
「ここは『通りがかりBAR』ですから。あなたが、この店の名前をつけたんですよ」

マスターがにこやかに告げた。私の「これまで」も「これから」もお見通しのような目をして。

頭の文字のいくつかが読めない看板を見たとき、思い浮かんだのは「通りがかり」だった。あの日の「通りがかり」があったから、今の私がある。そのことを思い出すきっかけを心のどこかで求めていたのかもしれない。

通りがかり」の日の私と今の私はつながっている。そう思えたら、風船の端っこを持ってもらっているような安心感がある。

階段を昇り、地上に出ると、文字が消えて読めなかった看板は、看板ごと消えていた。歩き出した足取りが軽くなっている。鼻の奥に、ホコリと土の混じったアスファルトの香りがかすかに残っていた。
決して良い香りとは、言えないだろう。
でも今の私には、大切な、温かい思い出の、心地よい香りだ。



あとがき

このアレンジを思いついたのは、
この朗読会主催の都代子さんのFacebookでの投稿記事。
確か、新品のコートの裾を自転車に巻き込んでしまった、とか。
その記事に「私も似た経験をしました」とコメントしてから、
あっと思ったのです。
これ、使えるやん!と。
文章力に自信がないので、
朗読では臨場感を再現しようと、私の今持てる限りの演技力を使いました。

この時に助けて頂いた、若い女性の4人組さま、
本当に、本当に、ありがとうございました!
こんな優しい「通りがかり」の方々に出会えて、私は幸せです。
大遅刻してしまった私を待ってくれた上に、
怪我の心配までしてくれた、朗読仲間さんにも、
その気遣いと優しさが、身に沁みます。
そして、この温かい経験を思い出させてくださった都代子さん、
これを発表するチャンスを下さった今井先生に、
心より感謝申し上げます。

clubhouseで朗読replay

2023年2月23日   ひろさんが朗読してくれました。



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