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「あるドライブ」(作・山川方夫)を声劇に

朗読プレーヤーの中原敦子です。

2022年9月に、大阪で開かれた朗読Barで読んだ作品です。
原文全てを通して朗読すると、私の速度では30分以上かかってしまい、
もう少し短時間で読めるようにと、
声劇風にアレンジしてみました。

原文は、青空文庫にあります。

私が脚色した朗読台本をお使いになるようでしたら、
コメントに一言お知らせください。
めっちゃ喜びます!(^^)!


あるドライブ(声劇仕立)

山川方夫・原作 中原敦子・脚色


「……本当に、こうして二人でドライブに出たのなんて、三月ぶりかな」
「そのくらいね。そのあいだ、日曜日や休みの日は、貴方は欠かさずゴルフだったわ。……よく飽きなかったこと」
「子供でもいりゃ、気がまぎれたんだ」
「あら。もともとその子供がわりに、無理してこの車を買ったんじゃない?一年まえ」
「そうだったね。……だが、税金は高いしガソリンは食うし、修理代はかかるし」
「そうね。……買い替えたら?」
「一時はそう思ったよ。どうせならカッコいい国産の中型車でも、って。……でも、君は左ハンドルのほうがいいんだろう?」
「国産のだって、左ハンドルはあるわよ。輸出向きのだとか、外人用のだとか」
「へえ、そうだったの。じゃ、そうしてもよかったんだな」
 

語り:車は濃い緑の中を走っていた。しだいに山は深くなって、凝結した血のような野生の葉鶏頭(はげいとう)が、ところどころに赤い色を輝かせて窓の外を後ろへと飛び去る。

「……この車が、いけないんだ」
「じゃ、早く売りなさいよ、そんなに癪にさわるのなら」
「売るもんか。売ったって、元値よりずっと安くなって、ひどいマイナスにしかならない」
「ケチね、貴方って、ほんとに。……使ったお金ぐらい、ドライブをたのしんだ費用だと思えばいいじゃないの」
「ケチっていうんじゃないんだ。ただ、もっと有利な処理を考えているのさ」


語り:ふと、妻は黙った。一台の国産車が追い抜き、みるみるそれが小さくなる。


「それに、やはり情も移っている。……買いたての頃は、よく君とドライブをしたね。箱根。三浦半島。房総。伊豆。日光。交替でハンドルを握って。……そう、こっちには一度も来なかったな」
「……それが、今度はだんだんゴルフに凝(こ)りはじめて。この春ごろからは、私のことなんて、サッパリ」
「……そう、春だっけね、あれは。まだ、このへんの山に桜の花が残っていたっけ」
「え? こっちに来たことあったの?」


語り:妻はふいに夫の横顔をみつめた。真夏の白い道に照る光が、その瞳をきらきらと輝かせている。

「この道をずっと行くとね、ゴルフ場があるんだ。あの日、僕はお得意の連中と車でそこへ行ったんだが、急に本降りの雨になって、ゴルフはお流れになっちまった。……で、同じこの道を、僕は連中の車でいっしょに帰ることになった。すると、この先に、小さい白い洋風のホテルがあってね。その前に、僕たちのこの車が停っていた」
「……嘘。嘘だわ。同じ型の、同じ色の車なんて、いくらだってあるわ。そうよ、貴方の見間違えだわ」
「僕は、はっきりとナンバーも確めたんだぜ、この目で。ちょうど雨が上りかけていてね。皆が残念がっていたのを憶えている。道は下りだ。スリップを避けて車は徐行していた。……そして僕は、そのときこの車に寄り添うように停った紺のトヨペット・クラウンから、守谷が降りてきてホテルに入って行くのを見た」
「呆れたわ。貴方って意外に想像力が豊かなのね。まるで、私と守谷さんとが、そこで逢引きをしてたみたい。……すごい妄想家ね」
「守谷とは、あれがはじめてだったのかい?」
「何をいうのよ、失礼ね。怒るわよ、勝手に、へんな想像なんかしちゃって……」
「はじめてだったのか、と聞いてるんだ」
「…」
「しらをきっても遅いさ。凝り性な僕がきっちり調べたんだ。……そうか。やはり、もっと前からだったんだな」
「違うわ。……あれが最初。信じて。あれ一回きり」
「……よけい、君が信じられなくなったよ」
「どうして?」
「あの日は、お得意たちの手前、僕には何もできなかった。東京に帰っても彼らにつきあわないわけにも行かず、ビールを飲んで夜になってから家に帰った。すると、君はまったくいつもと変らない態度じゃないか。こいつ、僕をごまかせると思ってると思うと、僕は腹が立って、……よし、とことんまで追いこんでやろう、と決心した」
「こわいわ。……貴方の目」
「じつは、僕、あれからは一度もゴルフには行ってないんだ」
「……なんですって?」
「ゴルフだといって家を出ては、僕は一足先(さ)きにいつもあのホテルに行った。いつも君たちは来た。ほとんど同時に近かったが、かならず君が先に、彼が後に。……ホテルを出るのは、しかし、いつも逆の順序だ。何度かあとをつけて、やっと僕はその意味を知ったよ」
「やめて、……お願い」
「やめない!あいつの車は右ハンドル。君の、つまり僕たちの車は左ハンドルだ。かならず君はやつの車を追い抜く。いや追い抜くふりをして並ぶ。そして二人は、車の窓から手を出して、握手したり、手を触れあったりしていちゃつくんだ。まるで、それが君たちの『今日は』と『さようなら』の合図か挨拶かみたいに。……いつも、仲良さそうに、幸福そうに、子供みたいに、君たちはそうやって、ホテルの往復でまで、不貞とスピードのスリルをたのしむ。……」
 

語り:妻は、夫の顔が真赤なのに気づいた。結婚して六年、こんな顔は見たことがなかった。

「内側から追い抜くのは違反だからね。だから、君たちの到着と出発の順序も、ああなるんだ。……でも、あんな道で……まったく、君も運転が上手(うま)くなったものさ。……あいつが好きなのか?……僕と別れたいか?……答えろ。僕は真面目なんだ」
「……たしかに、私は貴方を瞞(だま)してたわ。いまも瞞そうとしました。……でも、あの人と結婚するかどうかは別の話。とにかく、もう私達、お終いね」
「どうして?」
「貴方って人が、信じられなくなったの」
「ふん、勝手なことを。」
「……私、貴方って人をよく知らなかったんだわ、いままで」
「いままで? いまだって、君はまだ僕を知っちゃいない。もうすぐ、もっとよく知ることになるぜ」
「もうすぐ?」
「そうだ、もうすぐだ。もうすぐ、いつも君たちが手を触れあって遊ぶあたりになる。……さ、運転を、君にかわってもらおう」
「どうして?」
「いいからかわるんだ」
 

語り:夫はブレーキをかけ、いったん車を停めると強引に妻を左側の席に押しやり、自分は助手席にと入れ替った。


「さあ、走らせるんだ、ゆっくりとな」


語り:車が滑りだすと、夫は身を斜めにし、身体をシートの背にかくした。運転する妻の膝近くで、彼女を見上げながらいった。


「……そろそろ、守谷の車がやってくる時刻だ。やつは今日もきっと『今日は』をしようとする。さいわい人気ない山道だ。違反をしても相手はなれあいだし、わからない。……そこでやつは、内側から追い抜こうとする」
 

語り:内側。――つまりその道の左側はガード・レールがなく、その下は深い断崖で、川の激流が渦を巻いている。

「まさか、まさか貴方……」
「いいか、君は、追い抜かせるように車を右に寄せろ。そして守谷の車が並んでやつが手を出してきたら、いきなりハンドルを左に切る。接触して、やつの車を崖から落っことすんだ。……君は運転が上手だから、うまくやれば、こっちは落ちずにすむ」
「……いや。いやです。そんなの」
「いやなら、そのときになったら僕が下からハンドルを左に切るだけのことだ。……この崖から落ちれば、まず守谷は死ぬ。誰も見ているやつはいない。やつが勝手に違反して、その結果の事故だといやあ、こっちは罰金さえ払わずにすむんだ。そして、もし万一、守谷が生きのびたら……そしたら、僕は君を守谷にやり、そのかわり莫大な慰謝料を取る。いずれにせよ、事故はやつの違反が理由だから、この車の受ける損害には、相応の賠償金をいただく。……どうだい、いい考えだろ?」
 

語り:そのとき、バック・ミラーに一台の紺色のトヨペットが、ぐんぐん速度をあげ近づいてくるのがうつった。運転している男が右側の窓から手を振る。……守谷だ。合図のクラクションを鳴らして、その車が近づく。

「来たようだな。……さ、いった通りにするんだ」 

語り:しかし、妻は必死に車を左側ぎりぎりにまで寄せると、アクセルを踏みつづけた。守谷の車が内側から追い抜けぬよう、並べぬよう、どこまでもその進路をふさごうとした。

夫「おい、何をしているんだ?」

語り:夫の手がのび、しっかりとハンドルを掴んだ。

 「右に寄せろ!」

「駄目よ!やめて!」            

語り:夢中で抵抗する妻の力と、不自由な姿勢の夫の力とは頡頏(けっこう)した。車は、小刻みに尻を左右に振り、いよいよ速度を上げて突進した。ハンドルは大きく右に切られ、そのまま勢いあまって、シボレーは道の右側面の崖に激突した。そのショックで、大きな岩が一つ、ゆっくりとその上に顛落(てんらく)した。
 遅れてきた紺のトヨペットがあわてて急停車し、守谷がその右前半部の潰れたシボレーに駈けつけたとき、夫はすでに完全な屍体だった。顔は血とガラスの破片に埋まり、下半身は石の下敷きとなって、動かすこともできなかった。
 妻は気絶していた。奇跡的に、彼女にはたいした怪我はなかった。

語り:約一時間後。妻は、運びこまれた附近の病院のベッドの上で気づいた。

「ううっ……」
看護婦「もう大丈夫ですよ」                         
「……あの人は? うちの人は?」

語り:看護婦はうつむき、それからあわれむような目で彼女を見た。
ふいに、妻の目に熱いものがあふれてきた。その涙は、あの恐怖から解放された安心や、生命が助かったよろこびではなく、まして夫と別れ守谷といっしょになれることのうれしさの涙でもないように思えた。きっとこの涙は、あれほど真剣に、一途に愛してくれたあの夫を、永遠に失くしたかなしみの涙、なのだ……


看護婦「……お気の毒に。あなたを運んできて下さった方もかわいそうに、ってばかりおっしゃってましたよ。そして、奥さんに、この手紙を渡してくれ、って……」
「どこにいるの? その方」
看護婦「それが、名前もおっしゃらずにお帰りになってしまって……どうぞ。私は席を外しますから」
「はい、ありがとうございます。(折り畳まれた白い紙を開いて、ハッとする)これは、守谷さんの字……『うまくやったな』……どういうこと?」

守谷の声「『わかっている。君は、あいつをはじめから気絶させてあの席にのっけといた。ごまかさなくてもいい。その証拠は、僕に車には君一人しか見えなかったことだ。頭のいい君のことだ。この事故にみせかけた計画殺人にも、なんとか辻つまを合わせるだろう。しかし、僕は君が怖くなった。君の夫殺しを忘れてやるかわりに、僕を巻きこむのはやめてほしい。僕が違反をしそうになったせいだ、なんていわないでほしい。じっさい、僕は何も知らなかったんだから。……いま僕は、やつに悪く、やつがかわいそうな気持ちでいっぱいだ。二度と、僕は君に逢いたくない。さようなら。君の運のつよいことを祈る』」
「(呟いて)……違う。違うってば」


語り:妻にはもはや弁解する気力もなく、それを信じてもらえっこないのもわかっていた。全身の痛みとあたらしく湧く涙との中で、妻はふと、夫ののこした僅かな遺産の計算をはじめている自分に気づいた。



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