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価値観についてそういえば考えていた日(2020年5月6日)

昨日の夜は寝床に入ってから、休暇終わりの憂鬱な気持ちを解消したくてセックスアンドザシティを見始めてしまった。3話まで観てなんとかストップ。

今見ると、少し昔の女性の切実な悩みが本当に直接的に描かれているのだなという気持ちにさせられた。「独身女性は本当にエレガントか?」「どうしていつも女性が譲歩しなくてはいけないの?」など。現在はもう少し関係がフラットになっているし、独身の人ももっと受け入れられる社会になっていると思うけど、ほんの少し前までは、美しさを保ち、男性から言い寄られる自分を保ち、より安定的で安心できる生活を保証してくれる人と結婚という契約を交わして、できれば男児を産み…ということが、女としてサバイブしていくための当たり前の価値観として、6歳の女児から60歳の女性までにいかに通底していたか、ということを実感させられた…。

それは、教育、視線、会話の主題、マスメディア上の表現から休みなく浴びせられる価値観であり、結局それぞれの人生に立ち上がってくる様々個別の状況に各個人が立ち向かうとき、そういった価値観が誰の声ともなく降りかかる。あなたは本当にそれで幸せになるの?周りの人はその価値観をもってあなたをジャッジしてくるけれども、それでもそちらを選ぶの?と。それは自分の声ではない、でもあたかも自分の声みたいだ。反対意見が他者の形を持って向かってくれば、多少違う、と反応できるのかもしれない。でもそういう自分と同一化したものこそが価値観であり、それはなかなか自己と切り離して客観的事物として見つめることは難しい。翻って、それを判断するものもまた、何かに依拠する価値観だろうし。
ようやく就寝したあとに、地震速報で起こされる。何もなくて本当によかった。バクバク鳴る心臓をなんとか落ち着けて就寝。

というわけで寝る前にスマホを見たのと(確信犯だけど)途中で起きてしまったことにより、朝は6時半過ぎに目は覚めるものの、また起きる気になれず。結局携帯を弄りながら8時ごろまでだらだら。ただ昨日よりは目覚めはよい。やはり夕飯を少なめに食べることは重要だと実感。

午前中はそこまで仕事の準備ができていると感じなかったので、ニュースぼちぼち検索したりして脳をウォームアップさせる。最近の悩みはどこから情報を得るかということ。今日はyoutube上でビルゲイツ財団絡みのナラティブ(WHOがなぜワクチンを推進したがるのか、なぜ死亡率がこんなに高いのかetc)についての動画を見る。大学生のとき、今食べているものやこれまで関わってきた会社への資本提供会社ということまで考えた上で自分がよき人でいようとすると、ほとんど何もできなくなるというような現実世界に気付いて、一時期本当に気分が落ち込んでしまった。その考えは自分の直感とリンクしていたから、直視するのはすごくしんどかったし、でもかといってどう対処したらよいのか全くわからず、とりあえず働き始めたのがちょうど三年前。一旦ある種思考停止をして、現実世界/資本主義界における努力や能力を伸ばすこと、その中の世界を知ることやそこでも確かに様々生活の喜びがあること、などは学んだのだけど、やっぱり今一周回って、見逃せないよな、ということを実感している。特にこの状況下にあって。私はやはりそれらの直感を無視して生きることはできない。そっちの方がしんどい。政府への不甲斐なさとはまた別に、より上層部で何が起きているのか、できるだけ正確に知りたいし、それをもとに自分の意見を持ちたい。


休憩直時間になって、以前弊社で同時通訳の仕事をしていて転職していった人が出演している他者の広報podcastを聴く。英語がとてもきれいで聞きやすく、言語の発話による信頼獲得ってあるよなあ、とか思う。私もちょこちょこ練習しないと。英語を勉強することにより、(少なくとも英語を利用してのコミュニケーションにおいては)自分の意見を主張できるようになったという話をしていて、まあ、そうだろうなと思う。私も多分あらゆる英語で発信される文化に触発されて、今のある程度主張できる自分がいる。あー、一旦ひと休み中の中国語のことが一瞬頭をよぎる。でも今はちょっといっぱいいっぱいだ。

そんな一日。

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