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紀尾井清堂

内藤廣設計の紀尾井清堂に行ってきた。できて話題になってた当時は忙しくて行ってなくて、やっと今になって余裕ができたので行ってきた。内藤廣は、丁寧で上品な建築、緻密で圧倒的な矩計図、という感じで、建物はすごく好感を持てるけれどあまり衝撃を受けるというイメージはなかったのだけれども、今回は本当に衝撃だった。自分の建築に対する解像度が上がって今までキャッチできてなかったものもキャッチできるようになったのも原因かもしれないけど、久しぶりに建築を見て衝撃を受けた。

構造の話

断面図(展示)


建物全体が4本の柱で支えられたラーメン構造になっていて、スパンは9100をPC梁を使って飛ばしている。1階に入ったときは、このボリュームを4隅の柱だけで支えてるのかってびっくりしたけど、図面で見ると特別なことはあんまりしていなそうな、シンプルな構造に感じた。(構造屋ではないしRCも経験がないのでなんとも言えないけれども)スパンも梁せいも、スパンの外側のキャンチの長さも、全部無理のない感じがする。
2階より上が3方向にキャンチしていて、コンクリの塊が浮いているように見える。その浮いている感は、意外にも、外から見た時よりも、1階に入った時に感じる。断面図で見るとより顕著だ。

1階

1階


1階、構造で書いたように、入るとまず4本の柱で支えてるのか、という驚きがあった。ぜんぜん普通の構造なのにその感覚やちょっとした違和感を作り出している要因はたぶん何個かあって、まず壁、壁は3方向、サッシと地中になるところ以外全部ガラスになっていて、視覚的に地面から切り離されている。ちなみに、さっきから4方向ではなくて3方向なのは、1方向は避難階段と設備で閉じているからだ。
次に柱、これはあえて存在感が強い形状にして柱が支えている感じを演出している。
そして、1番すごいのが天井で、これがたぶん違和感の最大要因で、こんな面積のコンクリの平天井、たぶん見たことない。どうしてこんなことができてるかっていうと、断面図を見ると、スラブと梁を上下逆にしている。普通は梁の上にスラブだから、天井には梁が出てきて、平天井にするときは天井を張るというのが通常で、こんなにスラブがどーんと広がることはない。ちなみにそうすると上階の床が平坦ではなくなってしまうので、束を立てて床を貼っている。つまり、普通とやっていることが上下逆転なのだ。そうやって広がった剥き出しのスラブの天井にはダウンライトを埋め込められるわけがなくて、だからなんと天井には照明が1つもない。さらに、壁にもない。どこにあるかというと、床に埋め込まれている集光ライトを天井に当てている。天井が荒々しいコンクリで平坦で、しかも照明すら付かずにドーンと広がっていること、これが上階の質量感を演出していて、1階の違和感を作り出している最大要因だと思う。
しかもコンクリートは木目が際立つ荒々しい型枠の仕上げになっていて、床や壁もムラの多い石貼りで、全体的に仕上げが凹凸が多く素材の存在感が大きい。
1階の仕上げの荒々しさと、上階の丁寧に艶出しをした綺麗な木材で覆われた空間の対比、そしてスラブの構造的な上下の逆転、これは絶対意図的だと思う。

1階から2階

1階→2階

1階から2階は、外階段を通っていく。正確には、コンクリの躯体とその外を覆うガラスの間にある階段なのだけど、ガラスは隙間を埋めたりはしていないので、ほぼ屋外だ。道路レベルより上になると仕上げに板張りが使われ始める。1階と上階が対比的に作られているのは先述の通りだけれども、空間として繋がっておらず、1度外に出ないといけなくて、屋外で2階までの連続的に変わっていくシークエンスができてるのも体験として楽しかった。

2階〜5階

5階から

2階より上の階は、壁、床、天井をちょっと赤みがあって艶を出した木材で覆った空間で、荒々しさが1ミリもない、緻密な空間。そして本当に吹き抜けと回廊のみの空間だ。階高や規模感はあまり大きくなく、空間の大きさ感覚は内藤廣の他の建築と似ていた。
回廊には色温度が結構低い集光照明が均等に配置され、中央はトップライトからの比較的色温度が高い光が落ちてくるため、回廊にいるときと、吹き抜けの中の階段にいるときではかなり見える景色の印象が違う。集光タイプの照明によって、回廊の床には円の模様が連なってできているのも面白かった。天井は、4階までは貼らずにルーバーを吊るして、5階だけ木の天井を貼っていた。なんでだろう。2〜4階は、ルーバーの合間に、照明を組み込んだユニットを均等に配置していた。こういう天井ならスポットライトをよく使いそうだけれど、ダウンライトをルーバーに紛れ込ませて照明機器の存在感を消して、でも照明の光自体は落とし方をかなり印象的にして存在感を出しつつ、光の出どころを意識させないような工夫がよかった。

2〜4階天井
回廊の角付近の床

床、手すりは結構細めのピッチだ。床は特に、ピッチを大きめの板にして、しかも長手に貼るというのが最近の流行だと思うけれど、その真逆を行っていた。これがすごく日本の建築の印象が強かった。特に細い床材、古くさくなるからと敬遠されがちなイメージがあるけれど、この空間は絶対細い方がいいと思った。貼り方向も、長手だとこの緊張感は生まれない気がした。

跳ね出し側から

あとは3.4階が1方向だけ吹き抜け内に回廊が少し跳ね出していた理由が気になった。でもこの跳ね出しがなかったら方向感覚失ってたと思う。

内側と外側

外観

以前、安藤忠雄の住吉の長屋について、あれは建築の外皮を裏返して内側にも外皮を取り込んだ建築だ、という意見を本で読んだことがある。それでいうとこの紀尾井清堂の、アイコニックな外に出ている階段とか、所々内側の木貼りが外に見えている部分、これは逆に内側を外側に露出しているということになる。
「ちぐはぐな身体」という本に、排泄物や鼻水や垢が汚いと思うのは、本来内側にあるべきものが外に出ているから。外と中の境界が曖昧になっているからだ。その状態に人は抵抗を抱く。というようなことが書かれていた。この内側の仕上げを外側に露出させた階段が、汚いとは思わなくとも、印象的で、価値観を揺さぶってくるのは、その状態にあるからなのかもと思った。
1階については、住吉の長屋と同じだ。外装に使いそうな仕上げやテクスチャが並び、天井に照明もないことで、外側を内側に引き込んだようなことが起こっている。天井に照明をつけない演出は、その外部性を強めるためなのかもしれない。
そして、1階から2階は屋外なのに、2階以上の階の仕上げが少しずつ外に出ていることで、どんどん内側化していくようなシークエンスの体験になっている。


この建物、白い箇所がない。火災報知器や空調機、まで黒にしている徹底ぶり。什器すら白は一切なかった。
色について、追記:
内藤廣の本を読んでたら、「白という色は完成した瞬間が最も美しい色であり、時間が経つにつれて確実に汚れていく。20世紀の建築は白が多いのは瞬間的な価値、出来上がった時点で最も価値が高くなるものを目指した。」と主張し、時間を排除していることを批判していた。確かに内藤廣の設計は白いイメージがない。紀尾井清堂も「出来上がった瞬間がいちばん美しい」を避けようとしたのかもしれない。

用途のない建築
用途のない建築、つまりは建築家のエゴで建てて良いということで、そのエゴに敷地もお金も与えようと思ってもらえるレベルの実力があるのが、凄すぎる。しかもそれに応えてのエゴが、たぶんだけど期待を超えてたと思う。私がクライアントだったら、絶対そう思った。内藤廣ってやりたい放題やると、こんな執念深いもの出来上がるんだ、と思った。私が内藤廣作品の勉強不足なだけかもしれないけれど、発表当初から外観は結構意外だった。ディティールの圧倒的な執念深さを持つ一方で、こんな大胆なデザインまでも引き出しに持っているの、本当に天才だと思う。

法規と設備
一級の製図試験を終えたばかりなので、どうしても設備や法規は気になって見てしまう。用途のない建築と言っても確認申請上はなんの用途で出したのか気になる。吹き抜けは4.5階だけ防火防炎シャッターがついていた。なんで2.3階は免除なんだろう。そもそも吹き抜けしかないから区画の概念がないとみなしてるのか、でもそしたらなんで4.5階は必要だったのか、その辺の細かい法律や抜け道は全く分からない。
空調機は、天井カセット型を使ってた。これは天井ふところを作ってないからダクト通したくないし冷媒管がいい、ということだと思う。わからないけれど。

以上、紀尾井清堂について、思うがままに書いたメモになります。よかった建築。

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