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自主制作した映画がコンペで入選した話、その後。

はじめに。

先日、noteにて自主制作した映画『回りくどい会話』がTOHOシネマズの学生映画祭に入選した記事を投稿させてもらいました。

詳しくはこちら↓


残念ながら結果としては、入選止まりで何か賞をいただくことはできませんでした。

ただ、初めて自分の映画を映画館で上映して、他の同世代の子達の作品も見て、大物の審査員の方に見てもらうだけでなく、講評までいただけました。

こういった経験を言葉として形にしておきたいと思い、noteに認めます。

色づくりのについての反省

まず思ったのが、カラーグレーディングの難しさ。
自宅のパソコンやスマホ、プロジェクターで確認した時よりも、コントラスト、色の見え方が全部のっぺりに見えて、一言でいうと映像がちょっと微妙だった。

痛感したのは、必要だったのは「コントラスト」だということ。画質を担保するという意味合いでは、陰影のコントラストが重要で、映像映えという意味では、色合いのコントラストが重要だった。

写真の感覚でやっているとどうしてもコントラストをバッキバキにつけるのは好きじゃないから避けてしまうんだけど、映像だとどうしても影が濃くないと絵が決まらない。

色合いのコントラストという意味で言えば、色を積極的に乗せるべきだなということ。

少し分析

例えば、好きな映画のワンシーンを切り取って見てみる。

① お嬢ちゃん

『お嬢ちゃん』

このシーンは夕方の室内なのだが、まず、全体の印象としては赤みがかっている。
肌色、奥の棚の木やソファーなどの暖色系統が大きく主張してくるし、白壁もうっすら赤みがかかっている。(本来白壁は白壁なはずで、こういう風に赤みを乗せたりするのを、「色を乗せる」と表現する。)

一方、シャドウには青が乗っているので、結果的に赤と青が混ざったような色合いとして残っている。

コントラストも強めで、影の形がしっかり見えるくらいにははっきり付けている印象だ。

② 窓辺にて

『窓辺にて』


このシーンは、晴れ間の強いカフェの室内。照明は暖色の照明が当たっていると思われる。
これはハイライトは先程の『お嬢ちゃん』とは違い、ニュートラルよりの青っぽくしている。稲垣さんやコップに当たる光も白に近い。

一方シャドウは赤と青が濃いめに乗っている印象だ。
おそらく肌色だけは別で抽出して調整しているが、髪や洋服は青っぽくなっている。


・自分の場合

一方で自分のカラーグレーディングは陰影が弱い。
ドがつく逆光というのはあるが、それにしても弱い。
多分机の手前部分とかはもっと暗くていいし、無理に起こしているような雰囲気すらある。
色ももっと濃くて良い。お茶の色や人肌、ソーダのフルーツなど、色情報をしっかり残してから、はじめて淡くするのだ。

改善してみた

カラーグレーディングを再度やり直してみることにした。
結果はこちら

印象としてもだいぶ変わったかと思う。
人肌や紅茶、椅子の色の出方から、背景の青や緑色の差が結構しっかりついていて、色そのものの持つコントラストを高めている。
また、光のコントラストもしっかり目につけることで、パッとみた時の印象を濃くしている。

ヒントを言うならば、「トーンカーブ」に答えはあった。

しきりに言われた「もっと濃く」について。

審査員の方に感想をきくと、「もっと濃くした方が良い」という意見が多かった。

もちろんビジュアル的な意味合いも多分に含んでいると思う。カラーグレーディングの結果としての映像の印象の弱さは大きく絡んでいる。

ただ、ここで言う「濃さ」とは、映画の中の濃密度にあるのだと思う。ストーリーを進めるだけが映画ではないが、同時に無駄をむさぼるだけが映画でもない。
今作は、ストーリーのない、二人の人間の会話を切り取ったものになっているからこそ、会話の中にエッセンスをもっと詰め込む必要があった。

私は観客には観客の好きなように楽しんでもらいたいと思うたちだから、観客に特定のメッセージを発信したり、特定の感情にさせるというのは好きではない。「ここ!!ここ大事!!」とか「ここ!!ここ泣いて!感動するでしょ!」と映画を見ていて伝わってくると非常に萎える。「プロダクト・アウト」「マーケット・イン」という二つの考え方がある。簡単に言えば、前者は、いい作品を作れば売れていくだろうというもの、後者は、市場の求めるものを作っていけば売れるだろうというものだ。僕はいい映画はプロダクトアウトの作品だと思っているが、審査員は結構マーケットインの考え方が強い人もいた。そこら辺が、業界で働くということの差異なのかもしれないが。

ただ、少なくとも僕は、登場人物のする会話や動作から、あるいはカメラワークからなんとなしに伝わってくる感情の機微を感じていたい。

だからこそ、僕にとって映画を「濃くする」と言うことは、ストーリーに起伏をつけるだとか、ド派手なカメラワークを取り入れるだとか、そう言うものではない。会話の練度を上げる、「無駄なようで有意義」ではない会話を省くこと、映画の持つテンポ感を崩さないこと、だと結論づけた。

最後に

映画祭に出展したことによって想像以上に大きな学びを得ることができた。
人に見てもらうということは、自分の意図していなかったものが見つかったり、逆に自分の意図が正しく伝わったり、コミュニケーションを映画を通して図ることができる。

色に対する考え方、映画の持つ練度に対する考え方、もっと早くから学んでおきたかったと思うものばかりだ。
でも、人は必要な時に必要な言葉に出会うのだとも思うので、そんなことはあまり考えないようにしたい。(自分が大学2年の時にこの話を聞いたからと言って、納得いっていたかと言われると少し自信はない笑)

私自身、エンタメ業界で働くため、映画を作るということ一つとっても、それを「売る」という要素が大きくなってくる世界で、それでもいいものを作るんだという気概がどれくらい残るかはちょっと自信はないが、でも映画のことは本当に好きだから、大事に守っていきたいと思う。

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