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年賀状スルーをスルーする

12月初旬。

僕は、ある言葉を知りました。


忘年会スルーと年賀状スルー

誰が言い出したかわかんないけど、うまいこと言いますねえ。

そして、この2つの言葉に、僕は基本的に賛成。特に忘年会は、もういいんじゃないかな。

このもういいんじゃないかなは、絶対参加じゃなくてもいいんじゃないかなって意味。

忘年会そのものは、やりたい人たちがやればいい。

忘年会をする意味はありますしね。

僕が若い頃は時はよく上司に言われました。忘年会で顔を売れとか、普段話さない人と話して仕事の幅を広げろとか。

僕は、どちらかというとそういうのは苦手で、その場をうまく使えるタイプではなかったから、できれば行きたくない派。


忘年会のような飲みの席をうまく使って、上司に気に入られていく同僚を憎らしく思う反面、僕にもそんなふうに振る舞えればなと羨ましくも思ってました。

ただ、当時はスルーできるようなら時代じゃなかったから、ほぼ全部に参加はしてましたね。

毎年12月の休みの前日、まあほぼ土曜の夜だけど、とりあえず空けとくみたいな感じ。何よりも優先するのが当たり前って雰囲気でしたね。


でもねえ、人って慣れるんですよね。

強制的にでも毎年出席していると、何となくだけど飲み会に居場所が見つかって、ちょっとずつ楽しくなったりなんかして、年に1回やしみたいな気持ちにもなるもの。

未だに苦手は苦手だし、強制参加のような忘年会はほぼ無くなりましたけど、立場上主宰する側になったりもしますんで、僕が忘年会スルー機会はほぼありません。


ただ、実際、主宰するとわかるんですけど、忘年会スルーが増えるとめちゃくちゃ寂しいですよ。

スルーする本人は、忘年会に行かないっていう返事をしているだけだと思うんですど、幹事は、なんか自分の力不足で来てくれないのかもと要らぬ妄想が膨らんで、結構へこむんだなこれが。

だって、お金は出さなくてもいい(会社持ち)なのに出席しないって、

俺、嫌われてる?

って思いますもん。単純に。


結論、どちらの立場も知った上でだけど、やっぱ強制的な忘年会はなくてもいいですね。でも、忘年会という文化は否定しないし、やりたい人たちがやればいいかな。


っと、もう一つ。

年賀状スルー。

これはですね、今年やってみようと思ったんですよ。2020年の年賀状からは、ごっそりスルーしようと。

毎年、12月になると薬局での仕事は猫の手も借りたいくらいに忙しくなるし、家ではサンタさんに子供たちのプレゼントについて報告しないといけないし、やることが急激に増えますからね。


加えて、年賀状も書かないと、1月1日に届くようにするにはもう休みがあと1日しかない、みたいな強迫観念に囚われて焦るから、もう年賀状出すのやめようかなって、ここ数年本気で考えてたんです。


そしたら、今年は年賀状スルーみたいな言葉が、あちこちで聞かれるんで、ついにその時が来たかと満を辞して年賀状スルーを計画。

ただ、いきなり完全スルーもアレだなと思い、まずは半分くらいまで絞り込もうと2019年の年賀状を引っ張り出して、さてどうしたもんかと見返してみました。


この人は、今年会ったし今後も関係が続きそう。
この人は、数年会ってないし、これからも会う機会はなさそうだな。
この人は、大学卒業してから会ってないけど、年賀状スルーしたらもう縁が切れるな。
この人は、顔さえ思い出せないな。
・・・


てな感じで、2019年の年賀状を2つの山に分けていったわけです。

で、全ての仕分けが終わってみると、年賀状スルーの山の低いこと低いこと。結構厳しめに仕分けしたんですけどね。


そして、結局スルーできたのは全体の1割くらい。それ以上は減りそうもないので、仕分けは終了。

時間もないので、そのままほぼ例年通りの顔ぶれに年賀状を書いて投函しました。

考えてみると、20年くらい年賀状のやりとりしている間に、僕の年賀状相関図は最終形に達しているのかもしれません。


忘年会スルーに年賀状スルー。

僕にとっては、どちらもスルーするのをスルーする格好になりそうです。



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