日記『お片付け』(20220426)
本当に片付けるという行為が苦手。今日はそれをしなければならない。
iPadにはイヤホンジャックというものがないので、イヤホンを用いるときにはわざわざUSBとイヤホンジャックの変換ケーブルが必要になる。それがどこを探しても見つからないので探したい。しかし机の上はゴミの山なので、まずはそこを整理しないといけない。とりあえず机の上に読みかけの本を5冊も置くのをやめろ。人間は本を5冊も同時に並行して読むことが出来るほど処理能力は高くない。
そして机の上のものを全て退かしてもケーブルはなかったので再度買い直す必要があるかもしれない。そもそもなんでイヤホンジャックがないんだ。そのくらい頑張れよ。そしてなんでiPadでなんでもしようとするんだ。PCが最近めちゃくちゃ重くてすぐ固まるからだろ。なんですぐ固まるんだ。お前がタブを一度に何度も開きまくるからだろ。じゃあ最初の原因と変わらないじゃねえか。
本当に週に一度自分の机周りを全て整理する人を雇いたい。月10000くらいで。
こういう日々あった不満を解消するためにはどこかでこれをエピソードとして消化してあげないといけない。そうなった時に菩薩のような友人がいればその人に「ねえ今日の話聞いてよ~~~」って絡むことができれば万事解決かもしれないが、菩薩のような友人というものは概して私以上に深い付き合いがあるだろうしあるべきだ。そんな聖人にそんなことをさせるのはもったいない。だからインターネットという洞穴に向かって叫び続けている。私の文章を見ている人たちはその洞穴への叫びを聴く狂人だ。いつもありがとうございます、狂人の皆様。
日記にしろTwitterにしろ、文字だけで構成された情報は書き手の感情を伝えにくい。言語学バーリ・トゥードの「草が生えた瞬間」という章にこういう記述がある。
多分ツイ廃ひいてはTwitterというプラットホームにこもっている人間に対する色々な視線の原因はこれだと思う。とにかく文字情報以外は伝わってこないので、文字に含まれる(と本人が意図しているであろうこと)がいくつか省略した形で伝わってしまう。その点InstagramやTikTokは文字情報は少なく、かなり人間の直感に近い、どう言えばいいのか難しいがとにかく「表情」というものが伝わってくるプラットフォームだと思う。
去年の秋くらいにInstagramで絵日記を書いてストーリーに載せた時に評判が良かったのは、今思えば絵日記そのもののクオリティ(自分でいうには烏滸がましい表現だが)に加え、自分がTwitter以外のSNSをほとんど用いていなかった(つまり対面以外だと自分の表現のほとんどが文字情報でしか伝わっていなかったこと)のと、書いた文字や絵や写真のどこかに私の表情を見出して、それを肯定的に受け取ってくれたからなのかな、とも思った。
同書には意味と意図の違いについてものべている。章の「AIは『絶対に押すなよ』を理解できるのか」というタイトルからもわかるだろう。「絶対に押すなよ」の「意味」と「意図」は異なる。これも文章で性格に伝えるためには文脈が相当しっかり舗装されていない限りは難しい。世に蔓延る言葉の揚げ足的な炎上も大抵はその文脈がおかしいか、その言葉に至るまでの文脈を読み手が無視しているかであろう。私がネットに放流する情報はそんな文脈をきちんと描いていない(詳らかに書くと周囲の人間に迷惑をかけるかもしれない)ので、いつかその歯牙にかけられてしまうのかもな、とも思う。他者と私の間でどれくらい常識が共有されているのかもわからないし。
何か言語化をするという工程は大事だと思うが、言語「のみ」の表現を信頼しすぎても良くないと感じた。思ったよりも言語による意思疎通は脆く危うい。この点をインターネットに住まう人間はいくらか認識している気がする。だからこそ、「自分が用いる文字のみで表現された言語」というものに興味が向かって、最近言語学が流行っているのかもしれない。ゆる言語ラジオの流行はそのクオリティに加えてこういった背景があるのかも。
今気づいたけどRound1って書いてる。次巻があるなら楽しみ。
今日は昼から本当に頭痛がひどかったので頭痛ーるというアプリを入れてみた。低気圧でしんどくなる身としては有益な気がする。ただ明日は明日で「上昇注意」の文字が。思えば低気圧には敏感だけど、上昇するとどうなるのかあまり知らない。どうなっちゃうんだ~~~?
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