見出し画像

はじめてのおつかいがい_01

 人生初のバリ島にいる。
 ていうか人生初の海外。もっと言えば人生初パスポートに、人生初成田空港。なにもかもがはじめて。49歳にしてはじめての海外。この旅にむけたすべての行動がふわふわとしておぼつかず、なんだかずっと妙な心地。

 ちなみに、僕がこの歳になってようやく海外に行くことを決めたその思いの変化については前回の記事に書いているのでぜひ↓

 とにかく海外旅の何もかもが初めての僕は、すでに初成田からそわそわと落ち着かず、羽田(国内線)との勝手の違いと、国際空港ゆえのグローバル加減に、不安を通りこして半ばやけになる。航空会社に言われるまま、その場で謎のアプリをダウンロードさせられつつ(いまだになんでダウンロードさせられたのか意味がわからない、あれなんだったんだろ?)、無事にチェックインを終えた僕は、いよいよ保安検査所を抜けて、ピカピカのパスポートに記念の出国スタンプを押してもらうべく、窓口におそるおそるパスポートを渡す。そんな僕の小動物性を察知した高圧的な職員に無駄にノールックでページをめくられ、4ページほど空白のままテキトーなページにテキトーに出国印を押された。そうかそうか、そういう感じか。はいはいなるほど。

 実は、ミシマガジンの連載でも、バリ島に行くことになった顛末について書いているのだけれど、そこにもあるように僕は今回の旅で、自分がマイノリティである状況に身を置くことを大きな目的の一つにしていた。そういう意味では、実に理想のスタートじゃないか。ああ、どんとこい。

 日本で生まれ育った日本人男性の僕は、決して裕福ではないけれど、それでも五体満足で安穏と暮らしてきた。小さな悲しみや寂しさを感じることがあっても、支えてくれる家族や仲間がいて幸福な日々だ。そんな僕は、マイノリティな状態である自分を感じる機会がほとんどないままに生きてきた。しかしそれはただの偶然でしかない。僕にとって、海外に行くことは、いっときでもそういったマイノリティな状態に身を置く経験として重要なものになるんじゃないかと考えた。

みんなのミシマガジン連載『地域編集のこと』vol,56 Act Global, Think Local 藤本智士

 生まれて此の方、海外に出たことがない僕は、30歳手前くらいの頃にはもう海外に出ないと心に決めていた。海外に出るくらいならその分、日本国内を回って、誰よりも日本の地方を体感している編集者になろうと考えた。特に90年代から00年代にかけての日本は、間違いなくグローバル化のビッグウェーブみたいなものに飲まれまくっていて、波など届かぬ小さな湖のほとりでお土産屋でも営んでいるような気持ちの僕は、ずっとそれを冷めた目で眺めていたから、あの頃の僕はことあるごとに「日本は鎖国した方がいい」などと言っていた。もっと地に足をつけて自分たちの土地の良さに気づこうじゃないか。言ってしまえば僕の過去20年は、ただそれだけだったと思う。

 でもいまは状況が変化した。「地方っていいよね」という言葉に含まれていた反骨的な気概のようなものは綺麗さっぱりなくなり、ローカル万歳な空気はマジョリティになった。だから僕は近年、すでにその使命を果たしたような気持ちにもなって、そこに自分の価値を見出せなくなってきていたのも事実だ。とはいえ、だから海外へ! という短絡的なことでもないのだけれど、この厄介な自分の性質に向き合うことにしか未来を見出せない僕は、自分という人間はマイノリティなものをマジョリティに変化させていくことに価値や使命を感じるのだなと理解した。僕が思う編集の起点、「小さきものの声を聴く」というのは、そういう感情の裏返しでもあったのだろう。

 成田発の便ゆえ日本人が多く、その点では少し安心感があるものの、いかにもなサーファーおじさんや、空港からすでにリゾート風情な女性たちに囲まれて、50手前の初海外おじさんは、明らかに浮いていたように思う。最初こそ、おでこに初心者マークがついてないか、振る舞いを気にしていたけれど、アテンダントさんとのやりとりをする度に、こんなにも英語を聞き取れないものかという絶望を、苦笑で共有するうち、段々どうでも良くなってきた。

 優しさを固めただけのような、なんだか、よくわからないパッケージのせんべいとグァバジュースをもらって、それがやけに美味しくて悲しかった。英語もインドネシア語もわからず、ただただおぼつかない幼子のような僕には、日本の駄菓子みたいな味がする謎のキムチ味のせんべいくらいがちょうど良いなと思う。

 と言いつつも、実のところ機内食というものを楽しみにしていた僕は、事前にHPでインドネシア料理と和食が選べることを確認していた。だって国内旅行で機内食が出ることなんてまずないわけで、エコノミーとはいえ、どんなものがどんな風にやってくるのかを密かに楽しみにしていたのだ。そして当然ながら、インドネシア料理の方を選びたい! とそう心に決めていた。しかし僕のもとに有無を言わさず、和食が差し出される。

 いやいや、僕はインドネシア料理の方が食べてみたいのだ。ここでこれを享受していては、先が思いやられる。そこで意を決して「ソーリー ノー ジャパニーズ インドネシア プリーズ」とカタコトで言ってみたら、なんだか申し訳ない顔で、「ソーリー ノー インドネシアン」的なことを言われた……気がする。とにかくその申し訳なさそうな表情の方で、「あ〜、ごめん。みんながインドネシア料理をチョイスするもんだから、既になくなっちゃってもう和食しかないのよ、ほんとごめんなさいね」ということを汲み取った。中央付近の席に座っていたのだが、早々に前席あたりで切れてしまったようだ。まあ仕方ない。というか、こういうテキトーさは嫌いじゃないなと思う。とにかく、お前はどうせ和食だろ的なことではないことは伝わったので良しだ。ありがたくいただく。ドリンクは「グリンティー プリーズ」と、あったかい緑茶にしたら実際めちゃ癒されたし。しかし見た目とクオリティは昔の病院食だったよ。

食事には人形焼のデザートがついてたのに、あらためて食後にアイスが配られて期待したら、スーパーカップだった件

 ガルーダインドネシア航空。成田AM11:00発、デンパサール17:20着。時差は1時間だから搭乗時間は7時間20分ある。海外に行き慣れている人にとっては、なんてことない時間なのだろうけれど、僕にとってはこの時間がかなりの不安材料だった。国内旅であれば、せいぜい2時間くらいあればどこだっていける。最近よく利用する神戸ー松本(長野)便、神戸ー高知便なんて1時間も乗らない。それが一気に7時間。だけど物珍しさにずっと興奮状態だったせいか、せめてもの対策をと朝一番に履いてきた、むくみ対策の着圧靴下をお守りに、ゼルダ攻略に勤しんでいたら、なんだかあっという間に到着した。ゼルダは偉大だ。

 無事時間通りにデンパサール空港に到着して、一緒に飛び立ったはずのデザイナーさんや、うち(Re:S)の竹内厚と現地合流。まるで現地人みたいな格好で立っていた竹内は、最初の旅はインドだし、その後も人並みに海外旅に出たりしているということで、いかにも旅慣れ感を醸し出していたけれど、コロナ禍以降変化してるシステムに追いつかず、入国審査を前になんかバタバタしている。もう1人、今回初めてお仕事をご一緒させてもらうデザイナーのOさんにいたっては海外出張がかなり多いようで、その余裕が裏目に出たのか、到着ビザ申請の段か入国審査かでずいぶん長く引き止められていた。今思えばこの瞬間だけは、逆に初海外な僕に軍配があがったな。不安を打ち消すための準備力で、e-VOAと言われる事前取得可能な電子到着ビザ申請を済ませていた僕は、割とすんなりゲートを超え、今回のクライアントのKさんとの待ち合わせ場所である、空港内のスターバックスでいちはやくKさんと合流。初海外と知って最も心配してくれていた僕のいち早い到着に、笑顔を見せてくれた優しいKさんに「Oさん、なんか引っかかってるみたいなんですよ」と、ビギナーズラックな状況に波乗りした。

 ちなみに下記リンクのサイトにはめちゃ助けられた。こういう事前準備をフォローしてくれる利他的な情報がyoutube含めていろいろあるから、ほんと助かるよね。

 その後、デザイナーのOさんとも無事合流し、用意いただいていた車に案内していただく。途中想像以上に大きく綺麗な空港に圧倒される。SIMカードの勧誘やキラキラした両替所をやり過ごし、Kさんの後を追いかける。ついにやってきたんだなバリ島。僕の初海外旅がいよいよはじまる。

ここから先は

465字 / 1画像
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?