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毛七(けしち)って、知ってる?

毛七(けしち)?

 友人の安居昭博くんの著書『サーキュラーエコノミー実践』を読んで以降、リユースやリサイクルではなく、そもそも「捨てる」というフェーズをなくすプロダクト設計のあり方について考えるようになり、その途端、これまで積極的だった商品企画の編集を進めることが出来なくなってしまった。実際に、懇意にしていたメーカーさんとのものづくりも、エシカルな取り組みとして着地できるものでなけば嫌だという僕たちのわがままでその進行を止めてしまったりして、申し訳ない気持ちと、それでよいのだという思いで揺れている。

 そんな思考の渦中、「毛七(けしち)」というリサイクルウール生地の存在を知った。教えてくれたのは、愛知県の友達で「尾州のカレント」メンバーの森良子ちゃん。
 愛知県一宮市を中心に岐阜県西濃エリアまで含む「尾州」地区は、国内生産量の八割を担う日本最大の毛織物産地。そんな尾州の繊維企業の若手社員が中心となって結成した産地活性サークルが「尾州のカレント」だ。

 良子ちゃんは、繊維企業に勤めているわけではないものの、その企画編集力を生かし、広報部長として活躍している。そんな良子ちゃんが面白い子がいると紹介してくれたのが「尾州のカレント」代表の彦坂雄大くんで、彼がそのブランディングに尽力していたのがまさに「毛七」だった。

彦坂雄大(ひこさかゆうた)くん

「毛七」とは、読んで字のごとくウール(毛)が7割、残り3割がナイロンやポリエステルなどで組成された混紡素材。彼らが「毛七」と名付けたのではなく、尾州ではこの再生生地をそう呼んでいたそうだ。100 %再生ウールでないのは残念に思ったけれど(再生ウールだけでは繊維が短く強度が保てないため少量の化学繊維を足すそう)、廃棄された古着のセーターなどをいまいちど繊維に戻して再生するこの技術が昨日今日はじまったわけじゃなく、60年も前から続いていると聞いて俄然興味が湧いた。そこで彦坂君にその工程を案内いただくことになった。

循環のはじまり

 晴天の朝九時半、駅前ロータリーで待っていてくれた彦坂くんは、早々に僕らを車に乗せて一つ目の目的地へと向かった。繊維の街らしく縦糸と横糸を模したという尾張一宮駅の立派な建物を横目に「なんとか夕方には全工程の見学を終えるようにしますね」と言う彦坂くん。正直、そんなに時間かかる? と思ったけれど、この日すべての見学を終え、僕らが一宮を出たのはたしかに19時をまわっていた。

 程なく到着したのは、シンコー繊維という会社。倉庫のような空間にウールの古着が詰め込まれた大きな袋がいくつも積まれている。ここから一着一着引っ張りだして、付いているボタンや、ジッパーなどリサイクルに適さない部分をハサミでカット、さらにその生地を色事に仕分けている。あまりに地道なその作業に、見ているだけで途方に暮れてしまいそうになる。しかしそれだけの手間をかけてなお、再生する価値があるのがウールなのだ。

染めの工程の無駄を省くためにブルー系など色ごとに分けられる

 和服の場合は、浴衣であれ着物であれ、反物と呼ばれる、同じ比率で直線裁ちされた生地で無駄なく作られる。一方、洋服は型紙をベースに必要なところだけ生地を切り出すから、どうしても無駄な端切れが生まれる。毛七が生まれたルーツには、生地を無駄なく使用する和服文化が大きく影響していたのだ。

製造工程でどうしてもでてしまう端切れまで回収されてくる

 日本人に洋服文化が広まり、尾州産地が毛織物を中心とした産地に変化していったのは、第一次世界大戦時、軍服を作るための毛織物需要が高まったことに理由がある。しかも、尾州地区を流れる木曽川の水質がウールの染色や仕上げ処理に適していたことも大きかった。しかし上述のごとく洋服はどうしてもその工程に無駄が出る。羊毛はとても高価で貴重な素材なのに、端切れをそのまま捨てるのはあまりにももったいないと、当たり前にその回収再生が行われていったのだ。

古着だけでなく、何らかの理由で売れ残ってしまった事業系の衣類も
タグや肩パッドなども捨てるのではなく、車のシートクッションに生まれ変わるそう

意識低い系

 サスティナブルやエシカルなどといった言葉が先行するのではなく、ごくごく自然に「もったいないから」と、ウールを再生していた事実に、僕はなんだかとても感動した。サスティナブルなものづくりを考えたり、エシカルなものに興味をもったり、さらにはそれを発言したり行動したりするほどに、「意識高い系」などと揶揄する人がいるけれど、もったいないという感情は人間にとって自然な感情だ。その気持ちに蓋をして、大量生産大量消費のサイクルをつくり、経済を闇雲に増幅させてきたツケがあらゆるところに露呈している。あまりに大きな環境負荷は、未来はもちろんいま現在の自分たちの暮らしまでをも苦しめようとしている。つまり、サスティナブルなものづくりを求めたり、環境に配慮した行動をすることは、当たり前の気持ちの延長にあるものであって、「意識高い系」などと馬鹿にするものではない。逆に、環境意識や政治意識の低さこそが我々大衆であると、無知でいることを高らかに宣言してマウントをとる人たちをこそ、僕は「意識低い系」と呼びたいくらいだ。

現実

 ここに集められてくる古着たちをみていると、その多くがファストファッションブランドであることがわかる。そもそもこの場所に集まるのは回収業者さんが「おそらくこれはウールの衣類だな」と判断したものだけが送られてくるようになっている。それゆえセーターやカーディガンなどが多いのだけれど、かなりの割合でユニクロのタグが目に付いた。

 これは、ウールという本来高価な品を安価で世間に提供しているのが、ファストファッションブランドだということ。さまざまな衣服の素材が安価な化学繊維に取って代わられた現在、ウール製品はたくさん集まるものではないはず。しかし現実こうやって集まってくるのは、ある意味これらのブランドのおかげだ。あまりに皮肉な現実を前に、僕はスタートにして心が揺さぶられるような思いになった。

集まってくる大量の廃棄衣類

とんかつや

 「次は岐阜県の本栖まで移動します。着いたらもうお昼なので、そこでひとまずお昼ご飯にしましょう」彦坂くんがそう言ってくれてなんだかホッとした。ひとつの文化が長く継続されていくことの向こう側には、良くもわるくも、その時々の世の中の仕組みとのフィットが必須で、「毛七」においてもそれは同じであるという当たり前の事実を前に、頭がパンパンになってしまっていた。クールダウンさせるためにもお昼休憩はありがたかった。

 「美味しいとんかつ屋さんがあるので、電話してみますね」そう言って彦坂くんが予約の電話を入れてくれる。そもそも予約は出来ないそうだけれど、今日は平日だしおそらく大丈夫だろうとのお返事。

 約40分ほどで到着。のれんをくぐって中に入ると、高級なお寿司屋さんのごとし白木の長いカウンターがある。その向こうの島で、注文がある度に丁寧にカツが揚げられていく。板張りの床も美しく、揚げ物のお店だとはまったく思えなかった。否が応でも期待が高まる。

 さまざまなブランド豚を扱っており、どれにするか迷いつつも、せっかくなので岐阜県産の豚肉を使ったロースかつを注文。期待にきっちり応えてくれる美味しさに、大満足だった。ちなみにお店の名前は「とんかつや」潔い名前にすべてが現れていた。

反毛(はんもう)

 さて、休憩後に訪れたのは玉腰製毛有限会社。

 先の工程で仕分けされたウールの生地たちを、反毛といってワタ状にする工程を請け負う会社とのこと。やってきた仕分け生地を機械に入れる前に細かく断裁。さらにワタ化したときに空中に舞わないよう油に浸したのち、大小いくつもの鮫肌ローラーに通していく。すると、糸や生地が再びワタ状になっていくのだ。工程を経たウールは見事にふわっふわで、当たり前だけれど、まさに羊毛そのものだった。

ふわっふわに。

こうやって、再びワタのようになった羊毛を、大きな掃除機のようなものでぐんぐん吸い込み、それらをさらに次の機械に送り込み、今度は綺麗なシート状にしていく。

シート状のものをロールに巻き、それを撚糸と呼ばれる糸を撚る機械にセット。いよいよ糸が紡がれていく。

ガラ紡

 随分アナログな古い機械で紡がれているものだと、彦坂くんに聞いてみると、やはりいまはもっとコンパクトでスピーディーな機械が主流とのこと。しかしもっとアナログな機械があると言われて連れてこられたのは、木玉毛織。そこには、明治初期に発明された「ガラ紡」と呼ばれる日本独自の紡績機が残っており、いまなお現役なその機械で糸が紡がれていく様を見せてもらった。

ちなみにこちらは、羊毛ではなく、オーガニックコットンとのこと。
機械でシート状にして
さらにそれを丸めて筒状に。
動物のしっぽみたい

 ガラガラと音をたてながらまわる筒のなかに先ほどの筒状のワタを入れ、重力をつかってやさしく紡いでいく。ガラ紡は良い意味で撚りが甘く、ソフトな風合いの糸になるそうだ。

僕もやらせてもらった。繊細でむずかしい!

織機(しょっき)

 こうやって、さまざまな方法で糸にまで再生された羊毛が、いよいよ織機にかけられ織物に。それこそ織機(しょっき)にもさまざまな種類があり、丸編み機や、昔ながらのションヘル織機など、いろんなタイプを見学させてもらった。実は僕は以前もここ木玉毛織さんに訪れたことがある。そのときのことは以下の記事に書いているのでぜひ、読んでみてほしい。

 ちなみにみなさんご存知のトヨタ自動車も、元は愛知県刈谷市豊田町にある株式会社豊田自動織機の自動車部門を分社化したものだということはご存知だろうか。日本の繊維産業がいかに大きく重要な産業だったかがわかる。

仕上げ工程の大変さ

こうやって生地になれば、あとは洋服に。と思うかもしれないが、実はこうやって生地が編まれた後の仕上げ工程というのが、とても重要。僕の業界で言うと印刷屋さんに近いかもしれない。というのも色や風合いを最終合わせていくとても重要な過程が、この仕上げにあるからだ。具体的には、洗い(反毛の前に油を足したのを覚えているだろうか?ああいう油を落とすのも仕上げの洗いの大事な役目)や、乾燥、縮絨しゅくじゅうと言って、ウールに圧力をかけて厚みや強度を増やす、いわばフェルト状にしていく加工など、この仕上げ如何ではこれまでの工程がすべて無駄になってしまうことだってある。

洗いの工程
大量の水が使われる。
縮絨の機械
巨大な乾燥機で乾燥

 さらには生地表面の起毛加減を均一にするべくカットしたり、これまでの工程において傷ができたりしていないか、不備がないか、一枚一枚人の目で確認するなどして、ようやくロールに巻かれ、生地は完成、発送される。

 もちろんこの1日で見てきたものが、すべて「毛七」というわけではないけれど、工程の辿り方としては同じこと。こうやってウールが再生されていくのだと、その姿を自分の目で見届けたことで、ウールという素材への愛が深まったし、何よりそのポテンシャルの高さをあらためて知ることができた。そのことをいまから伝えたい。

新見本工場

 今回の尾州ツアー、最後に彦坂くんが案内してくれたのは「新見本工場」という産地直営型の洋服店。

 ここに辿り着いた時点で僕はもう尾州のウールの洋服を買いたくて買いたくて仕方がなかった。そもそも僕が「毛七」という生地やその文化に興味を持ったのは、冒頭に書いたように、サスティナブルなものづくりや、エシカルな取り組みに興味を持ち始めたどころか、それ以外のことに興味がなくなってきたからだ。自分の余生を考えた時、できる限りそういった商品しか買いたくないなあと思うし(あくまでも希望)、ましてや自分が編集する商品にいたってはできる限りそうありたいとも願っている。そんな僕にとって、いまから買う洋服がいつの日かくたびれてしまったとしても、それが燃やされたりすることなく、もう一度再生される可能性が限りなく高いというのはとても魅力的だ。

 実は今回、せっかくの機会だからと、岐阜県飛騨にすむ、タツ(白石達史)くんという友人に声をかけた。彼は最近、古民家移築の会社を立ち上げていた。

 タツくんに声をかけたのは、いわずもがな、尾州の再生ウールは木造建築の古民家にかぎりなく近いと思ったからだった。焼却してしまうことなく、再び材の状態に解体し、再び組み上げることができる古民家と、毛七の取り組みはとても似ている。また、一緒にお声かけしたタツくんのパートナーの実果ちゃんも、得意の語学を活かして海外の観光客の方のアテンドをしていて、日本の文化そのものに強い興味関心を持っている。一緒に行くには最高な友人たちだった。

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