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ゴミの行き着く場所に行った。

 ここは最果ての地。

 燃え上がるような情熱も、胸をかきむしられるような葛藤も、込み上げるようなあたたかな思い出も、その何もかもが長い旅路の果てに辿り着く場所。個性も感情も背景も物語もなにもかもが最初から何もなかったように淡々と埋められ土となったそこから立ち上がる空気はあまりに透明で美しく、差す光と吹き抜ける風だけがその存在を形取っていた。

 それらはたしかに塵ではあるけれど、決してゴミなどではなかった。

 一般廃棄物最終処分場。

 そう名付けられたその場所の美しさと、あまりに文学的な情景に僕は圧倒された。こういう場所が日本中のあらゆる町に存在することを多くの人は知らない。

 ゴミ捨てすら自分ですることがないような昭和おじさんや、超絶セレブな人たちにとっては、目の前のゴミ箱が縁の切れ目だとその先を想像すらしないかもしれないが、その後、袋に詰められ回収されたそれらが、クリーンセンターだ、環境プラザだ、環境美化センターだと、ネーミングそのものが人目を遠ざけんとする施設に集められていることくらいは理解しているに違いない。しかしそこで焼却されたそれらは決して「無」になるのではない。大量の灰となる。

 そもそも一般廃棄物とは、僕たちの日々の暮らしからでるゴミのことだ。その約8割が焼却炉で燃やされ焼却灰となり、日本全国年間430万トンも発生する。決して消えてなくなることがないそれらは、最終処分場と呼ばれる場所に埋め立てられる。その一つが目の前の場所だった。

 焼却灰はダイヤモンド。我々の日々の営みの結晶だからこそ、空気がキラキラと輝いているのだと思った。

 僕たちの暮らしは年々複雑化していて、それらを理解するのが困難になっている。そんななかでも「ゴミ」についての困難さはとりわけ過剰なものではないはずだ。それよりも単に、多くの人が蓋をしてしまっているに過ぎない。便利な暮らしとは、自分にとって面倒なことを外部化するということ。我々が便利と引き換えにした最大のものは「ゴミ」と「コミュニケーション」。便利っていったいなんだろう。

 料理は好きだけど片付けるのは苦手。それどころか食べる専門です。などと談笑するくらいはよいけれど、それがメーカーの大量生産なものづくりにまで浸透したことが、僕たちの意識を大きく変化させてしまった。

 2004年につくった「すいとう帖」という本をきっかけに、自分の水筒や魔法瓶を持ち歩く世の中をつくりたいと、2005年、「マイボトル」という言葉を世の中に提案したのは、ペットボトルそのものを「わるもの」にしたかったわけではなく、まさに水筒じゃないかというペットボトルのような立派な容器をバカバカと捨てる所作が日本人に身についてしまったら、この先、日本人はどこまで何もかもを外部化してしまうんだろうと恐ろしい気持ちになったからだ。

 誰かがうまくやってくれている。そういう性善説的信頼のもとで世の中が動くのはわるいことではないけれど、それが過剰になった世界は、あらゆる人たちがあらゆるものの責任を互いに押し付け合うことがベースになる。それゆえ、多くの人たちが「消費者」や「お客様」になりたがった。つまりは「自分には責任がない」という立場や場所ばかりを求めあう。そしてそれは、そういう場所やサービスを提供することが商売の基本であり、儲かる仕組みの最低条件のようになってしまっている。

 一般廃棄物最終処分場は、一見とても美しいけれど、その美しさはとても虚無的な美だ。人間の業のすべてを包み込む優しき穴。しかし目の前の大きな穴が灰で埋め尽くされるのは約13年後だと言われた。その先のことはまだ決まっていないという。たった13年後の話すら後回しされる現実。これが日本中のいたるところで起きている事実だ。日本の埋め立て処分場の残余年数は20年程度と言われている。あまりに短い。

 いまこそ僕たちは「ゴミ」について考えるべきだ。「べき」なんて言葉は滅多なことで使いたくない性分だけれど、それでもそう言ってしまう強い思いが僕にはある。ごみに向き合わずにものづくりなどすべきではない。

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