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取り戻す旅⑦ 『八戸の朝と久助』編

 八戸で迎える朝、近くの「ドトールコーヒー」で一人、溜まる一方のメールを一つひとつ返信する。今日決まっていることは、盛岡へと移動することだけ。盛岡へは、同業者で飲み友達の、鈴木いづみさんが連れて行ってくれることになっていた。いづみさんは昨夜のイベントにわざわざ盛岡から参加してくれて、それどころか夜中2時半の「鮨武」まで、しっかり一緒に飲んで食べて楽しんだ。にもかかわらず、昨夜のイベントで出会った、八戸のゲストハウス「トセノイエ」オーナーのミノリちゃんという女子からの熱烈なお誘いに応えて、朝6時には「喫茶ヘバナ」というお店に行ってきたというから、この貪欲さがローカルライターの矜持だなと感心する。いづみさんは、いづみさんで一人、今は「はっち」で仕事をしてるとメッセージがきた。

 いづみさんが早朝に訪れた、喫茶ヘバナは、今も製造を続ける南部せんべい店「上館せんべい店」のご夫妻が1991年にオープンさせた「せんべい喫茶」が前身だという。その名のとおり、コーヒーとともに「てんぽせんべい」と呼ばれる、焼きたてのせんべいを提供。セットで250円だったというからドトールどころじゃない。毎朝4時から8時まで営業し、ほとんどが70代の常連さんたちの良きサロンの役割を果たしていた。しかし昨年(2023年)11月に惜しまれつつも閉店。33年間、毎日せんべいを焼き続けた店主の上館さんも既に76歳。仕方がなかった。そこで立ち上がったのが、近くでゲストハウスを営むミノリちゃんだ。町の大先輩たちが集まるせんべい喫茶を、「生きた事典」と表現したミノリちゃんは、ここで育まれたコミュニティを絶やしたくないと、仲間とともに「喫茶ヘバナ」をオープンさせた。

 「なんて魅力的な場所だろう」。昨夜、ミノリちゃんの話を聞きながらそう思ったけれど、僕は頑なに行くとは約束しなかった。冷たいと思われるかもしれないけれど、僕は僕の睡眠と旅の整理時間を優先した。たった二日間の旅に6話3万字書いている時点で、感じてもらえると思うが、僕にとって旅の日々は、思いがけない気づきの連続。気を抜けばインプット過多に胃がやられそうになる。寄せては返す波のごとし、引き潮時間を意識して確保しないと、大切なはずの気づきさえ大波にかき消されてしまうのだ。人間は完璧を求めるほどに辛くなる。少しばかり不完全なくらいがちょうどいい。

 ちなみに、南部せんべいというと、堅焼きのせんべいを想像する人が多いと思うが、「せんべい喫茶」で提供されていた「てんぽせんべい」は、ふわふわとやわらかく、老人にやさしい。「てんぽせんべい」の「てんぽ」とは、「不完全」や「半端」という意味で使われる南部弁「て(ん)ぼっけ」を語源としているそうだ。不完全がちょうどよいとは、今朝の僕を肯定してくれているようじゃないか。

 実はいづみさんと昨夜までは、午前のうちに八戸を出て、岩手県紫波しわ町の旧庁舎を改築した「ひづめゆ」という温浴施設に行こうと話していた。サウナがとても良いという。にもかかわらず、ドトールで仕事を続けている僕。不完全が過ぎる。旅の整理が小一時間で終わるわけもなく、それどころかミシマ社のWEB雑誌『みんなのミシマガジン』の連載原稿の締め切りが迫っていることまで思い出した。編集者やライターという職業は、いまやどこにいたって仕事ができる。言い換えれば、どこにでも仕事が付いてまわる。友人ゆえの甘えから、いづみさんも巻き込み、ずるずる昼過ぎまで仕事をしてしまった。おかげで、巽くんとの五戸旅を原稿にととのえた僕は、いづみさんの待つ「はっち」のフリースペースへ移動。ノートPCを広げて真剣に仕事するいづみさんを見つけて、同業者で良かったと安心した。

 「もうこの時間だしお昼食べてから移動しよう」という僕に、「うん、盛岡には夕方につけばいいし」と、いづみさんが言う。半端者の編集者が二人揃うと、予定が狂うことを全力で肯定し合うからラクチンだ。そう言えば、いづみさんは、北東北の情報を発信する『 rakra ラ・クラ』という雑誌の編集をされている。ラ・クラのカタカナ表記にある「・(中黒なかぐろ)」の位置、あれ間違ってるんじゃないかと思う。

 いづみさんが、おすすめのお店情報を何軒か提案してくれたものの、その選択肢の豊富さが余計に僕らを迷わせた。そんなときは全選択肢を一度思い切って捨てるにかぎる。そこで、はっちのすぐ向かいにある「八戸ブックセンター」に行くことにした。昨夜の鮨武まで付き合ってくれたブックセンター職員の太田さんに、オススメのランチを聞いてみようということになったのだ。

 八戸前市長の小林眞さんが掲げた「本のまち八戸」の推進拠点としてオープンした八戸ブックセンターは、なんと、市が運営する公共の本屋。「売れ筋の本しか置けなくなってきた地方の書店の窮状は、そのまちの文化度に大きく関わってくる、それが私にとって一番危険な都市との格差なんです」。以前、お会いした際、小林さんはそう話してくれた。

 2016年のオープン直後に初めて訪れ、意図せぬ本との出会いに溢れた棚づくりと、心地よく読書に集中できるスペースやハンモックなどの仕掛けに感動した僕は、すぐに再訪を決めた。市民作家登録を済ませば、無償で使うことができる、カンヅメブースなる部屋があり、そこで実際に自著の原稿も執筆した。ちなみに市民作家登録は、八戸市民でなくても登録できる。市営なのに、だ。それがまた当時の僕のテンションを上げた。

 ローカルを中心に編集仕事をする僕は、自治体とお仕事をさせていただくことも多い。それぞれの土地の魅力を発信するお手伝いはとても楽しくやり甲斐があるのだけれど、多くの自治体は「行政区域」で僕らを縛る。その意味合いを理解しないわけではないが、編集者として真っ当に越境したいと思うことも多々ある。例えば、僕が編集長をしていた秋田県のオフィシャルなフリーマガジン『のんびり』のなかで、秋田の母さんがたが愛する寒天の特集を組んだときのこと。安価で使いやすい「粉寒天」ではなく、昔ながらの製法による「棒寒天」が良いという秋田の女性たちの謎のこだわりを受けて、「寒天の里」と言われる、長野県茅野市まで赴き、棒寒天づくりの工程を現地取材するところから、特集記事をスタートさせた。

 最終的には、長野の生産者さんと、秋田の母さんたちが涙しながら握手するという幸福な展開となるのだが、これは当時の秋田県庁職員さんたちとの信頼関係あってこそカタチにできたのだとあらためて思う。もし、当時の職員さんが、数値や行政区分のような短絡的な指標だけを見る人だったなら、「秋田県民の血税をつかった広報誌のメイン特集の3分の1が長野の取材など言語道断!」などと言われてもおかしくない。けれど県庁のみなさんは腹が据わっていた。「何か言われたら我々が守りますから」ある担当職員さんにそう言われたときは涙が込み上げた。

 だからこそ、「市民作家」登録に兵庫県西宮市在住の僕が登録できるという事実の向こうにある、情熱と本気度に、震えた。

 それこそ昨日今日と続くこの旅も、行政区分で言えば青森で括られる。しかし旅人の実感として、青森と八戸では微妙に言葉も文化も違う。それはどちらかというと、津軽藩と南部藩の違いに帰せられる。八戸は南部藩ゆえ、青森や弘前などの津軽地域より、かえってお隣、岩手県の盛岡や秋田県の鹿角などと文化が近い。そう考えたとき、明治の廃藩置県以降の行政区域が、旅人にとっていかに土地のルーツを見えづらくしていることかと思う。

 八戸ブックセンターについてもう一つ思い出すのが、オープン当時、八戸の友人から聞いた、こんなエピソードだ。遂にオープンを迎えた八戸ブックセンターを取材するべく、東京からやってきた情報番組の制作スタッフたちは、町ゆく人々にこうインタビューして回ったという。「年間6000万円の運営費に対して、収益見込みが2000万円、年間の赤字4000万円が毎年税金から補填されるとのことなんですが、どう思いますか?」

 こういったマスメディアの作為的な取材が僕は好きじゃない。編集というチカラをこんな風に使う人がいるから、マスメディアは信用ならないと短絡的に思ってしまいそうになる。どれだけ豊潤なビジョンも、数字を前にすれば、いつだって言葉少なだ。またそのビジョンがより未来を見据えたものであるほど、理解してもらうまでには時間がかかる。それをいいことに、自分たちに都合のよい編集を施すメディアの発信を、日々浴びながら僕たちは生きている。

 年間4000万円という数字をこれ見よがしに掲げた東京のテレビスタッフには、兵庫県在住の編集者がここで原稿を執筆したいとわざわざ飛行機に乗ってやって来て、何泊もホテルに泊まり、夜は八戸のお酒「八仙」をしこたま飲んで帰っていくことなんて、まったく想像もできないだろう。けれど現実はこういうところにあって、いよいよ僕たちはその小さな営みを感じとるセンスを身につけなければいけないと思う。編集力を持つということは、数字の向こうにあるビジョンへの感度を高めていくことでもあり、そこにあるひとつひとつの生活を想像するということだ。そう思えば、市民作家の次は、市民編集者が必要なのかもしれないなと考えた。

 ブックセンターを覗くと、太田さんのほかに、数年前に、僕の出版記念トークを仕切ってくれた、熊ちゃんこと、熊澤さんという職員もいた。実は彼女も昨夜のイベントに駆けつけてくれていた。すでに13時を過ぎていたけれど、お昼がまだだということで、昼ご飯をご一緒することになった。

 太田さんと熊ちゃんが二人でササっと相談をして、僕たちを連れてきてくれたのは、はっちの裏にある町中華「紅園」。昨夜、鮨武に案内してくれた、たっくんも通う店だという。そもそも、いづみさんが挙げてくれた候補になかったのも良かった。ローカルライターは未知の店を好む。昼のピークを超えていたので、すんなりと奥の四人席へ。タンメンやら、えびめんやら、各々が好きに食べたいものを頼んで、よいランチ時間。ここはこれ一択というのがない店に入ると、ほんとうにその土地の生活にお邪魔した気になって、これもまた旅人の喜び。僕は高菜入りの焼きそばが気になって注文。高菜の入ったあん・・の海を、細切り肉とたけのこが自由に泳ぐ、地味なのに奔放な焼きそばがやってきて、これもきっと夜中の2時半に食べたら、どハマりするやつだと確信する。けれどいまは昼の2時。

 食後のまったりとした時間を利用して、太田さんと熊ちゃんに、気になっていたことを聞いてみる。昨日、八戸駅のお土産屋で板かりんとうと一緒に「チョコQ助」という名のお菓子を買った。それがとにかく美味しかったのだが、これまで出合ったことがなく、いったいこのお菓子はいつからあるのか疑問だったのだ。せんべい業界の専門用語で、割れ欠けなどの規格外製品を「久助」と呼ぶと、新潟県長岡市の大きな米菓メーカーさんに聞いたことがある。商品名のQ助はそこから来ているに違いない。そこにチョコがかかったシンプルなお菓子だが、昨日イベント前にホテルで封を開けてみたら、もう止まらない。店頭POPの「おひとりさま3袋まで」という表記に誘われて、思わず1袋だけ買ったけれど、3袋買っておけばよかったと後悔した。

 太田さんいわく、発売から3年以上は経っているとのことで、近くに売ってるところはないだろうかと聞いてみたら、類似品なら近くの「さくら野百貨店」にあったはずだという。「類似品なら百貨店にある」。こんなキラーワードがこの世に存在したのか。言葉だけ抜き出せば、百貨店もここまで堕ちたかと思わせるようなこの一言に、チョコQ助の勢いを感じ一層高揚した。ファストファッションテナントが入り込む昨今の百貨店事情を憂いつつも、とはいえ、土地の名物は、意外に元祖より亜流の方が美味しいこともあると思い直す。これは確かめねばという気持ちを抑えられなくなった。確かにチョコQ助のパッケージには、「類似品にご注意ください」という文字がしっかりプリントされていた。もはや僕はその類似品をこそ手に入れたい。そして食べ比べたい。僕の胸にも潜むローカルライターの矜持が疼く。

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