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アルバムな旅05「旅人と観光客の違い」

 わがままを言って、hickory03travelers、北書店に連れて行ってもらったあと、博進堂さんの車は、新潟県新発田市へと向かっていた。寄り道上等とばかりにふらふらと友人たちの店に立ち寄っていたので、それこそが旅の目的のように映ったかもしれないけれど、今回僕が新潟入りを決めたのは、それが理由ではなかった。けれど僕にとって目的やゴールは、旅を終えてはじめて立ち上がっていくもの。すべてはあたらしい出会いや思索のきっかけにすぎない。「はい、ここではこれを見てください」「ここではこれを食べてくださいね」と、綺麗にパッケージされた旅は僕には向いていない。きっかけはなんでもよいけれど、その道中を強く縛られたくはない。テレビでお笑い芸人さんが食べていた美味しそうなご飯。子供のころ教科書で見た歴史的建造物。強烈に残る映画のワンシーン。インフルエンサーのSNS投稿。友人の話。きっかけはなんであれ、大切なのはそこに向かう道中だ。最近僕は、ここが旅人と観光客の違いなのではないかと考えている。

 僕は旅に出ているとき、自分が観光客ではないという、妙な気持ちを小脇に抱えている。その理由はどこにあるのだろうと考えた結果、それがどこか、のらりくらり、一向に収まるところに収まらない自分の行動にあると気づいた。これは決して天邪鬼な気質ということではなく、なんとなく自分のつま先が向いている方に動く癖があるのだ。ここで強調したいのは、自分が「そこに行きたい」と思う、その気持ちを大事にしているという話ではなく、本当につま先が向いているほうに身体が勝手に動いているというのが、自分の感覚的にはもっとも近い。つまり、気持ちより身体が先行するという話。

 それはある意味、僕が僕の意思を信用していないということでもある。だからといって他人の意見に乗っかりたいわけでもないので、傍から見ると、実にのらりくらりと映るのだ。目的地に向かっているはずなのに、一人そこから外れて路地に入っていったり、突然ふらりとお店に入ったり、そんなときの自分は、意思より行動が先に立っているように思えて仕方ない。僕の旅は終始その調子だから、気心知れた友人か、もしくは一人旅が向いているのだと、最近になってようやく気づいた。

 一方で僕が観光客と認識する人たちは、まるで溝を転がる球のよう。よいもわるいも、仕掛けられたポイントに100%立ち寄り、通過する度に立つ旗に歓喜する姿に、もはや旗を立てることが目的になってやいまいかと心配になる。けれどそれもまた旅の楽しみ方の一つ。僕にはフィットしないだけで、そういう決められた旅が好きな人も多くいるからこそ、観光ツアーは成り立っている。僕などは、おそらく開始早々に溝から飛び出し、あわよくば隣の溝に紛れ込み、意図せぬ出会いの連続に、本来用意されたゴールになど到底辿り着くことのないまま、別の充実感を得て満足顔で帰るに違いない。思い返せば僕は子供の頃からそういうきらいがあった。

 小学3年生のとき。運動が苦手だった僕は、嫌で嫌で仕方がなかったマラソン大会に、心を無にして参加した。まずは運動場に集められ、いよいよスタートするぞと、開始地点に群れのまま移動。苦手なスターターピストルの号砲に、目を覚ましたかのようにいきおい飛び出した。もたつく足を懸命に動かし、意味もわからずゴールへと向かう苦行。流れる景色を味わうなどといった風情なんてあるはずもなく、ただただ遠くにあるはずのゴールへと向かう。そんな僕の心の靄を晴らしてくれたのは、体調不良でマラソン大会を休んでいた友達の柏木くんだった。出場こそしないものの、その代わりに走者がコースを間違えないよう分岐ポイントに立たされていた彼は、辛そうな顔でやってくる僕を見つけるなり「ふじもっちゃん! すごい!」と声をかけてくれた。中の良い友達の姿に嬉しい気持ちではあったけれど、あからさまなおべっかに、何がすごいもんかと柏木くんのやさしさを無下にして通り過ぎる。けれど、柏木くんはさらに妙なことを言う。

「ふじもっちゃん、いま1位や!」

 はて? 柏木くんは何を言っているのか。運動場に並び、号砲が鳴った瞬間、多くの人たちが僕の前を駆け抜け、いまもこの瞬間もなお、僕を何人かの、しかも女子が追い抜いていくではないか。柏木くん、きっと熱あるんだな、かわいそうに。そもそも、体調不良で休んでいるのになんでこんなところに立たせられているのか。くそう、先生は鬼だ。教師への怒りと、学校教育の理不尽さへの憤りを感じながら、僕も来年は熱出したことにしようなどと考えていたら、僕の背中に柏木くんのさらなる言葉が覆い被さる。

「ほんまに、まだ男子だれも来てへん! ふじもっちゃんマジでいま1位や!」

 はっ! すべての謎が解けた。僕のなかの名探偵が、僕自身を指差してこう言う。「犯人はお前だ!」。毎年、男女別れてスタートすることになっているマラソン大会。僕はなぜか女子の群れに紛れ、女子のスタートの合図で駆け出していた。大会が嫌過ぎて心を無にしていたせいか、無意識で僕は女子となっていた。念の為に書いておくけれど、ズルをしようなんて、これっぽっちも思っていなかった。ただなぜか身体が動いていたのだ。結果、その年のマラソン大会で僕は男子7位。とんでもないハンデをつけてなお、なんとか7位。途中、スポーツ万能な友人たちが僕を追い抜く度に目を丸くして驚いていた。僕は以降、友人たちの間で「長距離だけは強いやつ」という謎称号を得る。しかし翌年、親の都合で引越しをした。ラッキーだった。

 うん? なんの話だ。いやそうか。意思よりつま先が向く方に勝手に動いてしまう癖の話だった。もう少し違った角度だと、こういうのもある。これも小学生の頃の話。僕は筆箱が巾着袋だった。決して貧乏エピソードとかではない。当時は缶ペンと呼ばれる、缶のペンケースが大流行りしていて、まわりはみんな缶ペンだったけれど、僕はどうもあのブリキの箱のなかで鉛筆がカチャカチャと動くのが嫌いで、且つ、机から落としたりしようものなら、音のやかましさはもちろん、蓋が開いて中身が散乱してしまう姿に、まったくペンケースとして向いてないと思っていた。友達がみんなして缶ペンを使う理由がどうしてもわからず、一人、ポパイというアニメのキャラクターが描かれた布で母親に作ってもらった巾着に鉛筆やら消しゴムやらを入れて学校に持っていった。

 そもそも巾着ほどアクセスのスムーズな容れ物はない。トンネルに通った2本の紐の交差が、オープン&クローズのグラデーションをあれほどまでに美しくするのだから、僕の中の「これ最初に考えた人天才グランプリ」永遠の1位、殿堂入りだ。やっぱりただの天邪鬼じゃねえかと思われるかもしれないが、こういうのもどこか、身体が先に動くというか、その理由みたいなものは、こうやって後から言語化してはじめて知るようなところがあるのだから仕方ない。もう一つエピソード重ねると、神戸で育った僕は、まわりの友人たちがほとんど阪神ファンのなか、巨人ファンの親父に育てられたけれど、被っていたのは近鉄バッファローズのキャップだった。ファンでもないのに。とにかく他人とか社会とかあんまり関係ないのだ。いろいろ書いたけど、この2行くらいのエピソードが一番言い得てる気もする。

 文章でもずいぶんと寄り道してしまった。とにかく僕が今回新潟にやってきたのは、新潟県新発田市にある吉原写真館に行くためだった。そこで『ALBUM〜まなざしの先の俳優・佐野史郎』という展覧会が開催されていた。本来すでに会期を終えているはずだったのだが、好評ゆえに期間が延長し、おかげでスケジュールを調整できた。とはいえ、それでも最終日ギリギリだった。危ない。

 佐野史郎さんは言わずもがな日本を代表する俳優。けれど佐野さんは実は音楽や写真の腕前も一流で、佐野さんが撮る写真は実に良い作品ばかり。しかし今回の展示において、佐野さんが撮影する写真はごく僅か。ほとんどが佐野さんが被写体となっている写真で構成されている。ちなみに撮影者は、著名な写真家ではなく、佐野さんの実父。つまり、佐野さんの幼少期からのアルバムの写真が飾られる展覧会なのだ。

 実はこの展覧会のベースは、僕が2008年に企画プロデュースさせてもらった、佐野史郎写真展「あなたがいるから、ぼくがいる ~佐野家6代をめぐるフォトアルバム~」だ。それを見てくださっていた、吉原写真館の六代目館主、吉原悠博さんが、現在の複写技術でもってあらためて写真を大きく引き延ばし、あらたな展示として甦らせてくださった。

 吉原さんご自身も実は映像美術を専門にされたアーティストで、東京芸大卒業後、20年ほど前までニューヨークや東京を拠点に活躍され、生前の坂本龍一さんとも交流が深い。その後、新発田に戻って家業の写真館を継がれた。また、写真館の建物は築85年、国登録有形文化財に指定されており、そんなチカラある空間のなかに展示される佐野家の写真を、僕はどうしても見ておきたかった。それが今回新潟にやってきた一番のきっかけだった。

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