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アンタッチャブルの漫才を見て〝準備〟について考えた。

 アンタッチャブルの漫才を見て〝準備〟について考えた。いつなんどきそのタイミングがやってこようと「やれる状態」でいることの大切さを思い知るような時間だった。

 くりぃむしちゅー有田さんとアンタッチャブルのザキヤマさんの師弟関係あってこそのサプライズは、あらゆる意味で正解が詰まっていたように思う。

壮大な前振りは世間の“赦し”の増幅装置

 芸能活動を再開して以降、再びザキヤマさんと漫才をしたいと切望するアンタッチャブル柴田さんに対し、ザキヤマさんがいっこうに漫才をしてくれないどころか一緒に出演してくれないという、その壮大な前振りは世間の“赦し”の増幅装置として最高だった。

 赦しの感情とともに高まる、復活を望む熱い期待。しかしなかば諦めかけた人もいるであろうタイミングで、いきなりその沸点はやってきた。まさに鍋の湯が吹きこぼれるかのように突如始まった漫才は、最大の理解者(有田さん)がすぐ後ろにいる安心感もあってか、10年のブランクをまったく感じさせない最高のパフォーマンスだった。

 世間が思う然るべき場所は、きっと、プロが珠玉のネタをぶつけ合う正統派ネタ番組だったはずだ。しかし、そんな誰もが想像したであろう場所を、有田さんと番組スタッフは、プロフェッショナルにふざけることで、ぶっとばした。

 そもそも『脱力タイムズ』という番組自体が、芸人さんのポテンシャルに対する信頼とリスペクトベースで出来上がっている。真の実力者が社会の安易な正義にひれ伏す時代にあって、僕はこれこそがプロのふざけかただとつくづく思った。

 そう、その裏には、柴田英嗣の“いつでもやれる準備”に対する絶大な信頼があったのだ。『THE MANZAI』への出演はもちろん決まっていたのだと思う。しかしだからこそ、その前に、小石につまづくように復活劇を果たさせた先輩の優しさに、僕は心底感動した。

一方、僕はどれだけ準備ができているだろう?

ネガティブではない「自分への過小評価」

 公に漫才ができないにも関わらず、漫才師としてのスキルを維持し高めていく努力は相当なものだ。そしてそれは、いつかきっと…という「希望」を持ち続けたことに他ならない。そう思ったとき、ぼくはとても大切なことに気づいた。

 準備とは希望だ。

 最近、イラストレーターの福田利之さんと対談をさせてもらったときにも感じたけれど、プロフェッショルな人というのは、世間のイメージに対してポジティブに軽やかに向き合える人だと思う。イメージと現実とのズレに悩むというよりは、そのイメージを糧に自らを合わせて磨き上げていく。そこには決してネガティブではない「自分への過小評価」がある。

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藤本智士(Re:S)

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編集者。1974年兵庫県在住。『Re:S』『のんびり』編集長。著書に『風と土の秋田』『ほんとうのニッポンに出会う旅』共にリトルモア、『魔法をかける編集』インプレス。『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』など手掛けた書籍多数。
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