オレンジ郡(Orange County)は、ご存じですか

野球のみならずスポーツ界の放映を見ていると、今やSHOHEI大谷選手の報道一色ですね。
人種差別がぬぐえない、米国のスポーツの殿堂ベースボールで有色人種日本人がアメリカ人の上に立つことなど予想も出来なかった。
その奇跡が現に、本場アメリカのベースボールで起きている。
かつて松井秀樹がNYヤンキース時代、活躍しすぎでアメリカンヒーローであったジータ選手を追い抜くことがないように気を使っていたのが嘘みたいだ。SHOHEIは日本の宝からメジャーリーグの宝物に変貌しつつある。

さて、そのSHOHEI 大谷選手、フィールド外での話題も超一流レベルが続く。住宅の選択。野球に専念が今やアメリカでも受け入れられて、休養に必要な大事な住宅をどこにするかが話題に上ったようだ。
有名なセレブたち御用達のビバリーヒルズ、これは相手にしないだろう。
候補の一つにオレンジ郡に購入するのではないかといううわさがあると聞いた。故郷岩手のような自然に恵まれた立地にある。
これを聞いて、20代に米国の銀行に勤務、3ケ月と短かったが研修期間にカリフォルニア州のLAとサンデイエゴの間に位置するオレンジ・カウンティ―で3ケ月過ごした日を思い出す。
郡都サンタアナには米国銀行の母店があった。そこで3ケ月間白人15名ほどの店舗で私のAMERICAN WAY OF LIFE習得が始まった。忘れられない。
サンタアナ以外では、エンジェルスの球場があるアナハイム、今回SHOHEI 大谷選手が住居を購入するのではないかと言われるニューポートビーチ、
ウエストクリフ等の正に元気なカリフォルニア。
1955年開園のデイズニーランド、ナツツベリーファーム等のエンターテインメントにも恵まれている。近くにはサンタバーバラと並び
ミッショナリーで有名なサン・フアン・カピストラーノもある
(春3月には燕が到来、カリフォルニアに春を知らせる町でもある)。
ビーチから日本にいる思い人に呼び掛けていた若き日の思い出がよみがえってくる。
日本から来た25歳の青年を、当時全米一の先端を走るカリフォルニア流儀をこれでもかと教えてくれた仲間たち、支店長のJIMはコミュニテイ・カレッジで金融論教えていたインテリ、オペレーションマネジャーのSHARONはランチのタコスの食べ方が子供みたいで可愛かったそばかすのある上司、今でも忘れられないアメリカンウエイの先生たち。
SHOHEI大谷選手が、もしこのオレンジカウンティ―に新居を構えることになれば、もう一度訪れてみたい。
今度は家人を連れてゆっくり太平洋望むワインディングロードのハイウエイ101号線やまっすぐに伸びたフリーウエイNO.5をGMかFORD製の大型SUV車で思い切り走ってみたい。
若き日に身についたAMERICAN WAYは、輝いていた。
あれから45年。現在のアメリカの元気のない姿を見ることになろうとは、これも予想外だが
強いアメリカが、民主主義の復活と併せて早急に蘇ることを願っている。
その時には、SHOHEI大谷選手は日本の国宝級から、全米メジャーリーグの至宝として活躍を続けていることだろう。
LAドジャースのこれから10年の選手生活における、SHOHEIの「更なる成長」を楽しみながら見守っていくことにする。

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