肯定も否定もできないでしょう
こういう文章をかくのが本当にうまくできなくていつもすごく時間がかかります。感じていることも考えていることもたくさんあります。ただ事実として、一緒にさとのばを受講している人に変わったねといわれたので、多少前との変化があったのかも。そう願っているだけかもですが。
今回は情けない話をしようと思います。よくさとのば大学でなにしてるの?と聞かれるのに対して、うまくこたえられないのはどうしてか。ある意味言い訳のようになるのですが、でもきっとこれは今言葉にしないと消えてしまいそうなので。
私はさとのばで西粟倉に来て、「日常を手触りのあるものにしたい」と思ってます。ただこれはもらった言葉で、ストンと落ちてきたやつです。つまり非日常をたくさん生み出していこうとは思わないんです。何か特別な、イベントや行事なんかをやれば人も集まるし楽しいのだろうけど、そういうのは自分が求めていない気がします。自分のことなのによくわからないのですが。
非日常にして、過去の思い出なんかにしたくないんだと思います。例えば何か大きなことをして、就活でガクチカとしていえるようなものにすることもできるよ。でもそういうのではないんだよなぁ。きっと私は当たり前のものを、そのまま受け入れて生きていきたいよ。だってこの経験が私にとって糧になるのか一生の後悔になるのか誰もわからないし、肯定も否定もできないでしょう。だからいいんだよ。そう思いたいよ。
日常を神戸ではなくて西粟倉でしたいのだとわかったら簡単だ。この地での生活を送ればいい。それはきっとルーティーンを過ごすことだろうし、想像以上に単調だ。眠れない夜も、生き生きした昼も、透き通った朝も。私はきっと明日がやってくると無意識に信じて生きているし、根底にはドロドロした希死念慮であふれている。最後、成果報告会で私は大それた大きなことは言えないんだろうなぁ。そしたらさとのばで何してるのって問いに答えられないはずだよな。だって日常に、一瞬一瞬を過ごすのにそんなに深い意味を考えていないんだろうから。少なくとも私はそう。
だから私は多分、ここで好きなように「当たり前」を過ごすんちゃうかなぁ、今はまだわからんけど。
このこと以外にも、関係性のお話も実は書きたくてでも言葉にできないので。でも疑似家族みたいなものとか、本当はとっても違和感があります。家族に無理して落とし込まなくてもいいんやねって思ったりします。白ひげとエースとか、夾くんと師匠みたいに、血がつながってなくても親子だろうけど、ふたりだけの関係性を紡いでいけばいいのでは。まぁつまり、ふたりの間の関係に名前を付けて消費する行為が苦手なんですよね。他人でも道を歩いているふたりをみたらカップルかどうか詮索してしまうのとかも、すごいことですよねあれ。社会的意義を見出しすぎな気もするのですがどうなんでしょう。
そういえば、今週は面談がなくて結局コペルニクスの話はせずでした。あの話をするには中々知識量が少なかったので、まぁ救われたかな笑。今週もたくさんの人と会ってわちゃわちゃすることになりそう。来週は夏休みの賞味期限について話すかなぁ。話す時間があればだけど笑。あとは自分のプロジェクトもゆるゆると進行中です。今週もまた日常を愛していきたいなぁ。生きてるだけですごいからね、きっと!