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手動エスカレーター


エスカレーターに乗っている、幼稚園児の私とママ。

淡々と生み出されるエスカレーターの段に足を乗せることに毎回躊躇してしまう。ママは「せーの」という掛け声とともに、繋がれた私の右手を持ち上げた。

一度両足を乗せれば、そこは安全地帯。私とママを上階まで運んでくれる。

私は左手をエスカレーターの壁に沿わせ、後ろに後ろに左手を押した。それが好きだった。
そうすると、なんだか私が自力でこのエスカレーターを動かしているような錯覚を覚えることがでたのだった。

そうやって、世界に関与したかった。

脳みそから分離した身体が動く。エレベーターの壁を押す。
そうやって、世界と私を繋ぎ止めておきたかった。

しかし相手は物質である。それは冷たく冷え切り、答えてはくれない。



右手のぬくもりを思い出す。それは母の左手に繋がれている。


あなたの手を握る。あなたが指先を押し返す。

あなたを媒介に、あなたの総体である世界と交わる。



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個性を極めるということは、孤独になるということに等しい。
だから、やれ多様性だ、個性尊重だという世界では、みんなひとりぼっちだ。

特に脳みそ。天涯孤独な私の脳みそ。誰にも見つからない場所で、息をひそめている。

それが悲しかったから、あなたのために、脳みその端っこを空けておくよ。
だから、帰っておいで。

脳みその交換をしよう。
あなたを教えて。
世界を教えて。




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