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前を向かずにはいられない

今、帰った。本当に、今、たった今、家に辿り着いた。わたしは今、カップラーメン用のお湯を沸かしながら、これをしたためている。まるで花火みたいな、時間と空間の中から、電車で一時間の距離をたどり、この部屋に帰ってきた。この興奮を、この気持ちを、どんなに疲れていても、明日の仕事が差し迫っていようとも、今、このときに書かなければ、わたしは本当に終わってしまうと思って、筆をとった。
ともだちと話した。全ての劣等感を日記にかくこと。全ての苦しみを、後悔を、懺悔を、今すぐ日記にかけと、誰かが言っていたらしい。この気持ちは、“今”のわたしだけのもので、明日のわたしには、どう頑張っても手に入れられないものだから、今、かかなくてはならない。
わたしの青春スイッチはいたるところに転がっている。わたしの青春ド真ん中。例えば、ベースの音。たばこの匂い。酒で荒れた胃のなかに流し込むカップラーメンの味。(わたしは今からそれをやる。目の前には、セブンイレブン印のカップヌードルしょうゆ味税込170円)さっき電車から降りたとき、今年初めての夏の匂いがした。夏の夜の匂い。こんな花火みたいな日に、一年に一度しか味わえない初夏を味わった。なんて贅沢な。
この世界のどこかに、いまだにいる。あのまま生き続けている人が。いや、知らん。きっと、たくさんたくさん変わってきたのかもしれない。だって、彼らは生きてきた。わたしが生きながらえちゃったぶんと同じだけの時間を生きてきた、はず。当時、あんなに死相が漂っていた人たちだって、儚いと思っていた人たちだって、しぶとくも普通に生きていた。
生きるには金が要る。だから、働いて、食い物代を稼いで生きていた。家に帰れば地味な日々だ。朝起きて、掃除をし、洗濯をし、ご飯の用意をし、バスに乗って、電車に乗って出勤する。つまらない。なんてつまらない日々。それでも、生き続けている。生き続けているし、わたしは、生きていて良かったと思った。生きるってマジでくそださいけど、それでも、生きていて良かったと思った。生き続けている限り、何度だって思うのだろう。あのとき死ななくて良かったって。
わたしは今日花火を見た。人間花火。青春スイッチの音。
今、これをかかなければと思い、かけた。あの花火を見て、前を向かずにはいられないの。

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