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ようやく、産道を抜けたような気がします

運転が嫌い。いつ、誰が、道路の端から飛び出してくるか分からないのに、平気な顔をして運転している人は、何も考えていないのか、恐怖に耐え続けているのか、狂っているのか、分からないけれども、一生理解できないと思います。

仕事をしているとき、わたしはずうっと、手帳とにらめっこしていたから、これがないともう落ち着かないのです。自分のするべきことが、目の前に、文字になって並んでいると、とっても落ち着くのです。今もこうして、自分の思っていることを書き連ねていますが、自分の、えたいの知れない頭の中のことが、文字になっていると、ほんの少し、安心するのです。

ままから、生きた桜を貰った。桜が好きですよ。
わたしは、一日毎に、わたしの人生が愛おしくなります。たくさんの大切と、なかったことにしてしまったものを抱えて、何もない、草原みたいなところに突っ立っているのはわたしで、心臓のところには、大切な記憶達がつまっていて、それは抱えきれないほどに重たいもので、少しずつ薄れていってしまうことが、辛くてたまらなくて、だから、言葉や音や物体に昇華しなければと焦って、あちこちに血反吐みたいなものをまき散らしながら、息をし続けている。
わたしはようやく、産道を抜けたような気がします。
 
不安なあの子。わたし。人生なんて別に楽しくなくても良いと思うけれど。いろいろ思い悩みながら、死にたくなりながら生きているということが美しいことだと気付ければ、少しは楽になるだろうか。本を読め、本を。あと音楽。

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