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「言葉」の被害者『村上隆もののけ京都』

アイコニックであること。それがどれだけ面白く、可愛く、凄まじいエネルギーを必要とすることであるのか。そんなことをずうっと考えていた。
自分以外の人になろうとするな。誰かへの憧れはまことに貴く、良いものであるけれど、それになれないことを嘆き、立ち止まっているのは遠回りだ。時間は多分平等に流れてゆくから、常に焦り続けなければならない。無駄なことなんて一つもないけれども、意識をビンビンに研ぎ澄ませながらなのと、そうでないのとでは、同じ時間を過ごしていても、生の重みが違ってくる。ぼくらは等しく、美しく生きたいと思ってしまった「言葉」の被害者なのだから、一生、この呪いを背負わなければならないのなら、やはり、どうしても焦らなければならない。
出町商店街の古本屋さんで、文章を書き続けるコツを立ち読みした。(ごめんなさい)。自分以外の人になろうとするなよ。どうせなれないのだから。夜桜を見て、可愛いピンクのお酒を飲んだおれ達にしか生み出せない何かがあるよ絶対に。

「村上隆 もののけ 京都」を見ている間、ずうっと、どうやってこれを制作しているのか気になっていた。絵の具の厚みを一切感じさせない、どこまでもフラットな面、ムラなど無い。ドキュメンタリー番組の予告を見て驚く。圧倒的な手間と、新しい技術で、「それ」はつくられている。自分が思い描くものを具現するためには、なんでもしなければならない。どんな手間も時間も惜しまない。すべては、自分のときめきのためだ。好きという思いを、その源流を、生の心地よさを追求しなければならない。ぼくらは忌み子なのだから、致し方ない。そう、致し方ない。どんな未来予知能力者に、なんと言われようと、ぼくはもう止まれないのだ。覚悟ここに極まれり。一年後、路頭に迷ったら、笑ってください。

可愛いものを手に入れました。すべての苦しみが収束すべきときめきを、わたしは産みたい。わたしが手に入れたこけしは、スーパーフラットであり、わたしの魔法少女もまた、スーパーフラットである。

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