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花火を見るために『女生徒』

「みんなを愛したい」と、涙が出そうなくらい思いました。じっと空を見ていると、、だんだん空が変わってゆくのです。だんだん青みがかってゆくのです。ただ、溜息ばかりで、裸になってしまいたくなりました。それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたことはありません。そっと草に、さわってみました。
美しくいきたいと思います。
太宰治『女生徒』より


なんて、なんて美しい文章。「人を愛したい」という、この世で最も純な願いが、「涙が出そうなくらい」という、ひどく曖昧な言い方なのに、その凄まじさが、分かる気がするのです。ときに、別に淋しくなんてないのに、悲しいことや辛いことがあるわけでもないのに、ひどく心細く、侘しくなって、涙が出そうになる。今、自分の視界に入る自然がたまらなく美しく見える時がある。それは、すべて淋しさに起因しているの?
普段目に止めることもないささやかな自然が、たまらなく美しく感じられるなら、淋しい時間も悪くはないと思います。人生ずっと落ち込んでいるわけではないから、貴重な落ち込みタイムで、精一杯自然の美しさを味わっておこうよ。

ところで、生きるというのは、淋しくて、淋しくて、仕様がない。皆、なんのために生きているのですか?わたし達は、ただ、ここにいるだけ。夢も希望も、愛も憎しみも、ただのおままごとで、あの子達と一緒に花火を見た、あんなに美しい光景だって、本当のところ、意味なんてなくて、でも、心の温度はほんものだから、ああ、そうだ、わたしは、あの日、あの場所で、みんなと花火を見るために生まれてきたんだ。そうだったんだね。
生きる意味ってなに?と質問してきたあの子に答えてあげたい。わたしはだけどね、って、前置きをして、昨日のあの花火を見るために生きてきたんだよって。
今、この瞬間の、たった一粒の美しいを積み重ねて、人生にしようよ。わたしはただ、一瞬一瞬の、ときめきのために生きたい。それ以外に欲しいものなんてひとつもない。ただ、何ものにも揺らがされることのない、確固たる幸福のビジョンを用意を。

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