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架空面談6_偶然の盆栽師、手放すという芸術

五十二歳、大阪生まれの大阪育ち、タナカケンタロウです。少々がっしりした体格、白髪まじりの短髪、スーツよりもTシャツが似合う(と思っている)ので、盆栽師なんて想像もつかないかもしれません。古文書や秘伝の技術を継承した伝統的な意味での師範ではなく、どちらかと言えば盆栽を愛する者、偶然の巡り合わせで盆栽と深く関わることになった、そんな感じです。

始まりは一鉢の真柏でした。地元の市場で、なんとなく目に留まった、ひょろひょろとした小さな木でした。値引きされ、瀕死の状態でしたから、正直、少し可哀想に思いました。当時は盆栽の知識など全くありませんでしたが、軽い気持ちで「まあ、やってみるか」と持ち帰りました。何冊か本を読み、オンラインで動画を視聴しました。少し剪定し、少し針金をかけてみると、みるみるうちに生き生きとしてきました。小さな緑の葉が太陽に向かって伸び、枝は優雅な曲線を描きました。魔法のようでした。

あれから十年、今ではベランダは盆栽で溢れかえっています。真柏、楓、松、そして小さな桜の木まで、それぞれが独自の個性、樹皮と枝に刻まれた物語を持っているかのようです。まるで我が子のようで、それぞれ異なる手入れ、異なる配慮が必要になります。時には優しく、時には厳しく。育てるべき時、剪定するべき時を見極める必要があります。

それは終わりのない学びの過程であり、試行錯誤の連続です。残念ながら、枯らしてしまうこともありました。けれど、それぞれの喪失から、特に忍耐について多くを学びました。盆栽はせっかちな対応に答えてはくれません。それぞれの木が持つ時間、それぞれの成長のリズムに従って生きていくのです。盆栽の持ち合わせている時間を尊重し、彼らの声に耳を傾ける必要があります。

葉色の微妙な変化、成長方向、ミニチュアの風景に光がどのように当たるかなど、観察が重要になります。木の自然な傾向を理解し、無理強いすることなく成長を促す。自然に逆らわず、自然と共に、人間の意図と木の固有の意志の間の繊細なダンスを踊るようなものです。

この絶え間ない剪定と整形を退屈だと思う人もいるかもしれません。ですが、これは瞑想的な時間であり、作業に没頭することで俗世間を忘れられます。目の前にあるのは木と道具だけ。鋏で剪定し、針金で形を整え、一つ一つの動作で小さな世界を創造していくことで、心が落ち着き、集中力が高まります。喧騒とした都市の中で自然と触れ合う一つの方法なのです。

都市、大阪。コンクリートジャングルと呼ばれるこの街は、まさにその通りでしょう。騒音、人混み、絶え間ない活動音。圧倒されることもあります。それでも、その混沌とした環境の中で、ベランダの静かな一角に安らぎを見出すことができます。緑の聖域、都市の喧騒の中に佇む小さな森。思いがけない場所にこそ美しさは存在するということを思い出させてくれるのです。

盆栽は単なる美的表現ではありません。そこには、より深い哲学、世界の見方が存在すると言えるでしょう。不完全さの中に見出す美しさ、人生の自然な浮き沈みを受け入れること。木は成長し、変化し、嵐を乗り越えます。枝を失い、傷つき、そして癒える。適応し、生き残る。その逞しさに、人はインスピレーションを見出すのです。

人生は予期せぬ出来事の連続です。誰もが経験することでしょう。失業、健康不安、家族の問題。自身も様々な困難に直面しました。それでも、そのすべてを通して、盆栽は常に心の支えでした。グラウンディングの源、平和と展望の源です。逆境に直面しても、成長は可能であること、どんなに小さく、脆い存在でも、計り知れない強さを秘めていることを気づかせてくれるのです。

皮肉なことに、自由と野生の象徴である木を、鉢の中に閉じ込めてしまいます。しかし、その閉じ込められた空間の中で、別の形の自由を見出すことができます。創造する自由、形作る自由、育む自由。限界の中で美を見出し、制約の中で強さを発見する自由なのです。

これは人生のメタファーです。私たちは皆、何らかの形で制約を受けています。環境、責任、そして自身の限界によって。それでも、その制約の中で、私たちは選択する力を持っています。自分の持つものを最大限に活用し、この世界の片隅で意味と目的を見出すことができるのです。

だからこそ、盆栽は多くの人々の心を打つのだと思います。私たちは自分自身の人生を形作る力を持っていることを、どんなに厳しい状況でも美しさを創造できることを、思い起こさせてくれるからでしょう。世界の混沌と不確実性の中でも、自分よりも小さなものの世話をするというシンプルな行為に、平和と静けさを見出すことができるからでしょう。

これが、田中健二、偶然の盆栽師の物語です。この世界で自分の道を模索する、ごく普通の男。木々から学び、不完全さを受け入れ、コントロールできないことを手放す。葉の静かなざわめき、枝の穏やかな曲線の中に、安らぎを見出す。鉢の中の小さな世界、それは内なる大きな宇宙の反映なのです。

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