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死ぬなら海に行ってからがいい

死ぬなら海に行ってからがいい。


なんだかいいハッシュタグを見つけたので、初めてハッシュタグなんか使っちゃって過去の記憶と自分の気持ちを書いてみようかと思う。


今年の2月中旬頃1泊2日で東京に行った。
東京に用事のある母に付いていったので、行き帰りは母と一緒だったけれど、それ以外の行動は2日間とも1人だった。

その時私はこんなことを考えていた。

この旅が終わったら死んでしまおう。

私が初めて投稿したnoteの後半はほとんど東京で書いていたし、帰りの新幹線で公開した。


人生最後の旅はどこに行こうか。
何の計画も立てずに始まった人生最後の旅。
ふと「海に行きたい」という気持ちが込み上げた。

耳につけたイヤホンからは憂鬱な音楽が流れ、頭の中は死ぬことばかり考えながら電車に揺られ、気づけば日本大通り。
そのまま私は、山下公園に向かった。
水の音を聞くことができればどこでもよかった。
横浜に行きたい気分だった。

グーグルマップを片手に徐々に海が近づいてくる。

その日はとても天気が良くて、青い空と青い海が何とも言えないくらいきれいだった。
それから長い時間ベンチに座って海を、行き交う人たちを眺めていた。
ただただぼーっと。

すると、男の子を叱るお母さんらしき人の声が私の耳に飛び込んできた。
男の子は海の柵すれすれを歩いていたらしい。


「海にぽっちゃんしたら、死んじゃうんだよ!死んじゃったらもう生き返れないんだよ!!」


その言葉を聞いた時、胸が重くなるのを感じた。

自ら命を捨てようとしている自分に向けられているように感じた。


「ぽっちゃん」


そのかわいらしい言葉の響きが余計に私の胸を重くした。

ぽっちゃんなんてかわいらしい言葉を使われていた時代が私にもあった。

その頃の私にとって自分の命は大切なものだった。

いや、生きていることが当たり前で、死なんて考えすらなかったかもしれない。

いつまでは生きることが素晴らしいことだと思っていて、いつから自分が生まれてきたことを呪うようになったのだろう。

何が原因だったのだろう。

どうしたら、この先生きていけるのだろう。


死んだら生き返れないなんて、分かりきっているはずなのにあのお母さんの声が頭の中に居座ってどいてくれない。

なんだか居ても立っても居られなくなって、その場を離れた。

あれから3か月。
結局私は死ねなかった。
自殺は失敗に終わり、私はもう二度と来るはずのなかった山下公園に足を運んで、もう見るはずのなかった海を見ていた。


あぁ死ななかったんだなぁ、私今も生きてるんだなぁ。
この街で息をしてるんだなぁ。


今でも、あのお母さんの声を思い出す。

今ぽっちゃんなんてかわいらしい言葉を使われている世代の子供たちは、これからどんな人生を生きていくんだろうか。

この世界の未来は明るいだろうか。

どれくらいの子供が生まれてきてよかったと言えるだろうか。
私はきっとこれからも死にたいと思いながら息をするのだと思う。


それでもあの男の子がこの先、あの日の私のように“死んだら生き返れない”なんて当たり前の言葉で胸を重くすることにない人生を歩んでいってほしいと、ただただひっそり願う。


ps.近いうちに砂浜がある海に行きたい。
田舎の、もっと水が近い海に行きたい。
晴れた空の下で、海を眺めながらぼーっとするまで私は死ねない。

#わたしと海


2023.02.11 山下公園


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