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「こころの時代」と「ことばの時代」 ―定性と定量の狭間―

このコラムは機械学習のド級初心者で時々短歌を詠むだけの、本来はぼんやりすることがお仕事である「れいあむ」が、機械学習を学んで思いついた妄想です。

01. はじめに
2021年末から友人に誘われて機械学習の勉強がてらコード写経を続けています。場の流れで決まったことなので特に深い理由はありません。
仏教では写経をすると功徳をつめるそうですがコードを写経したらなにが積めるのでしょうか?ちなみにうちはRyzen 5700です。
そっちじゃないって?わかってるよ!
さて、機械学習を進めていくうちに、NLP(自然言語処理)というものに触れました。NLPは「コンピュータにヒトの言葉を分析させる」ことが可能です。一番の強みは「構造化されていないデータ」を扱える点で、対してエクセルのように整形されたデータを構造化データと呼ぶそうです。このあたりの解説についてはこちらのサイトがわかりやすかったです。
たとえば、SNSに飛び交っている体調に関わる単語を分析してインフルエンザの流行を予測したり…なんてことが可能になるわけですね。

02. 「予測」ってなんだ
ところで、どうしてぼくたち人類というのは「予測」を必要とするのでしょうか?
儲かるから? 便利だから? 無駄なことをせずに済むから?
すべて"イエス"だと思います。ぼくからすると「安心を得たいから」というのが最もしっくりくる答えですが。
ぼくが10歳だった頃には「未来はわからないからおもしろいんだ」なんてフレーズがメディアに転がっていました。あれから20年以上経った現在、コロナ禍でその言葉を耳にすることはありません。
「今日を大切に過ごそう」という言い回しが出回ることはありましたが、「明日死ぬかもしれないから〇〇しよう」というのは、皮肉や冗談で口にする以外では歓迎されないでしょう。
それだけ切迫した状況下に置かれているのだと感じる瞬間が増えました。

03. 変換できるのが「言語」
NLPやテキストマイニングについて見ていくと、
[ヒトの言語] -> [機械側が処理できる値に変換] -> [分析] -> [予測]
といった手順を踏んでいます。文字情報化された状態であれば自然言語も言語のひとつですからルールがあります。だからこそ分析が可能となるのでしょう。
2017年あたりにIBMのWatson APIと心理学のBig 5を利用した性格分析が話題となりました。現在も派生・類似したサービスがあり、さまざまな分野で活躍していますが、これも「言語化された情報」があるからこその発展なのかなと感じました。

04.  SNS文芸の流行
2022年になって、「短歌や俳句がSNSで流行している」というニュースを耳にしました。残念ながらぼくの周囲の短歌や俳句を嗜む人は数えるほどしかいないので、へえそうなんだ~程度です。インターネットメディアの論者によれば、若い世代に利用者の多いTwitterの文字数と五・七・五(+七・七)の親和性が高いことが要因として考えられるとのこと。
確かに一度の送信につき140文字までが限度というところは、コラムであれば"お気持ち表明"レベルだろうし、小説であれば手腕が試されるでしょう。その点、三十一文字の文学であればハードルが下がります。季語やレトリックは時代に即して変化していった歴史があるので、そういう意味では若年層のとっつきやすいカテゴリともとれます。
140文字なら仏足石歌でもいいじゃん!と思いましたが、仏足石はオンライン上に存在しないので無理でした

05. 言語と非言語
皆さんは言語による対話と非言語による対話、どちらを得意としているでしょうか?
ぼくは子どもたちを見ているとそのノンバーバルコミュニケーションの多さに気づかされます。かく言うぼくもコロナ禍になってから、よりリアクションを大きめにしたりしていました。そうすることで「わかりやすくシンプルに自分の感情を伝える」ことができるからです。別に顔芸をしてるわけではないのです
マスク社会になり口の動きを読み取れなくなったことで、耳の不自由な方が情報を受け取ることができなかったという話がありました。それも非言語コミュニケーションが機能しなくなったために起こった現象だと言えるでしょう。

06. 「こころの時代」
21世紀はこころの時代であると云った人がいます。それは物質的な充足から精神的な充足への変化を指すこともあれば、ヒト文明発展のフィードバックとしての内省を指すこともあるでしょう。
メンタルヘルスという概念が普及した時代でもありますね。
「幸福とはなにか」「心の豊かさとはなにか」という哲学的な問題を世界の人々が考えた時もありました。
ぼくは「こころの時代」というのは、定性的な情報や事象に人々が注目した時代であると考えます。

07. 「ことばの時代」
では「ことばの時代」とはなんなのか。
コロナの流行によって、ぼく達は非言語コミュニケーションの一部が使えなくなりました。今後、コロナのみならずウィルスが相次いで流行するような世界になれば、コミュニケーションのかたちそのものが変容を迫られるかもしれません。気持ちや感情を共有したり伝えたりするために、言語コミュニケーションに頼りきりになる必要性が出てくることもあるでしょう。
SNSをはじめとしたコミュニケーションツールの多様化や、文芸の発展はそうした中で発生した流れであるように思えます。
不安、悲しみ、焦り、怒り。安堵、楽しみ、喜び、笑い。
そういった今まで相対することのなかった「こころ」を、「ことば」に変えていく。そうしてデータ化されたこころはようやく分析が可能になるというわけです。

08. さいごに ~〆のおうどん~
精神的なもののAI分析を前提として考えたとき、言語化された情報は欠かすことができません。よって、ぼくらは「的確でシンプルに感情を伝えるための語彙」を収集する必要があります。そのためにはより多くの表現を目にし、使うこともまた課題のひとつと言えるかもしれません。
あるいは図や絵と同じくらいわかりやすい、「感情を表現するための言語」を生み出すことを求められる日がくるのかもしれません。

まあ、ぜんぶ妄想なんですけどね!

ご覧いただきありがとうございました☺

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