「全て、自分で決めた」
それを忘れてはいけない。
「辞めたい辞めたい」と言いながら
同じ会社に向かうことも。
「ダルイ離れたい」と言いながら
だらしない付き合いを続けることも。
「痩せたい痩せたい」と言いながら
おやつを食べてしまうことも。
「辛い辛い」と言いながら我慢して
家事や育児をすることも。
「怒りたくない」と言いながら
子供を怒鳴りつけることも。
「助けて欲しい」と思いながらも
誰にも言えないことも
「変わりたい」と言いながら
今日も「変わらない」ということも。
「全て、自分が決めている」ということを忘れなければ、他人に文句を言うことはなくなるだろう。他人は至っていつも通りなんだ。
大切なのは他者ではなく、自分に目を向けること。疑うべきはいつも自分。
たとえば私は思うけど、
あなたは本当に、そんなに頑張る必要があるのかな?
時には逃げたり、休んだり、ズルしたり、助けを求めてみることで訪れる平和があるよ。あなたが思っている努力や自己犠牲は単なる自己満で、「ズル」は「ズル」じゃないのかもしれないよ。私は正しさよりも、温かさの方が大事なんじゃないかっていつも感じている。ちゃんとした大人よりも、ちゃんとしていない大人の方が愉快で明朗で、自分の人生に責任を持って生きている感じ。
自己犠牲ではなく、自己愛こそ本質だ。
そう言うことを知ってからの私は、
他人に文句を言うことがなくなり
弱音を吐いても、愚痴や後悔を吐くことはなくなった。悪いと思うことには素直に謝れるようになった。怒りはいつも自分で消化するようになった。頑張ることも、頑張らないことも全て自分で選んでいる。諦めることも、許すことも、手段の一つになった。望んでいるような未来を作るために動くのは自分しかいない。
それから最後にひとつだけ。
この世界で、自分で選べなかったことといえば、前世から引き継いだ「使命」だと思う。私の生きる使命は何か。何を抱えて生まれ、これから一体どんな「課題」をクリアするべきなのだろう。日々、気づきながら進む。
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