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思い出巡り旅

先月、大学時代からの友人と、大学時代を過ごした町、函館へ遊びに行ってきた。

観光地や名所を巡る観光旅行ではなく、言うなれば「思い出巡り旅」。きっかけは友人の一言だった。

「ゼミの先生に会いに行かない?」

彼女は大学時代、わたしと同じ文学研究系のゼミに所属していた。そのときお世話になった先生が定年退職を迎えたそうで、それを知った彼女がわたしを誘ってくれたのだった。

先生の名前を目にした途端、懐かしい大学時代の記憶が一気に甦った。
下の名前をもじった愛称で呼ばれていた先生は、優しくて、あったかくて、片付けが苦手な可愛らしい人だった。
わたしはすぐに賛成の返事を送った。
元気にしているかな。お変わりないだろうか。いつも気持ちを落ち着かせてくれた先生の笑顔に、また会いたくなった。

小樽から札幌まではJRに乗り、札幌から高速バスに揺られることおよそ5時間。
わざわざバスに乗り換えず、そのままJRで函館まで行くという選択肢ももちろんあったのだけれど、今回わたしはあえてバスでの移動を選んだ。

最大の理由は、費用を大幅に抑えられること。
JRだと札幌から片道9,000円はかかるが、バスだと往復で8,000円ほど。その分時間はかかるが、急いでいない旅なら、あるいは移動時間も旅の一部と捉えて楽しむことができる人なら、それほど苦にはならないはずだ。

なぜなら、ある程度プライベート空間が保たれるから。札幌=函館間の高速バスは3列座席になっているのだが、座席同士の間は通路のスペースが確保されているため、そこそこ快適なのだ。
わたしが利用したバスは隣席と隔てられるカーテンも備え付けられていて、ほぼ完全にプライベート空間を確保できることにちょっと感動した(イマイチ確証がないが、わたしが学生の頃は窓側にしかカーテンが付いていなかったような気がする…)。

それから、懐かしい大学時代の気分を久しぶりに味わいたくなったというのもある。

あの頃は、月に一度のペースで母と札幌で待ち合わせをし、2人でショッピングしたり、カフェでご飯を食べたりするのが楽しみのひとつだった。

学生だったわたしは少しでも交通費を抑えたくて、毎回必ず往復のバスを予約することにしていたのだった。

長い移動時間のあいだ、本を読んだり、音楽を聴きながら流れゆく外の景色を眺めたり、動画を見たり。その時間も旅の楽しみのひとつと思えば楽しむことができた。

せっかく学生時代の思い出を巡りに行くのだから、できる限り当時の感覚に浸ってやろうではないか。そんなふうに捉えればワクワク感もあり、地下鉄やJRでの移動が常になってご無沙汰だったバスの旅も、たまには悪くないと思った。


いよいよバスが函館市内へ入ると、わたしはついつい窓の外を食い入るように見つめてしまっていた。

大学時代に自転車でよく走った道も、3年間勤めたアルバイト先の居酒屋も、友達と遊びに来たカラオケ店も、変わらずにそこにあった。

もちろん変わってしまった場所もあったけど、懐かしい気持ちがぶわっと胸に満ちてくる。当時のわたしが悩んでいたことも、楽しみにしていたことも、愛おしい記憶となって蘇ってきて、自然と笑みが零れていた。


先にホテルに着いていた友達を1時間ほど待たせてしまっての再会だったけど、彼女は弾けるような笑顔で迎えてくれてほっとした。

前に会ったときよりも短くなった髪は彼女によく似合っていて、ずいぶん大人びて見えた。
なんだか自分だけまだ子どものままのように感じて、少し恥ずかしい気持ちになる。
そんなわたしの胸中を見抜いたように、彼女はニコニコとわたしのワンピースを「お嬢様みたいで可愛い」なんて言ってくれて。
「わたしはボーイッシュだから、なんか対になってて『ふたりはプリキュア』っぽいね、ウチら」と、彼女らしい発想力豊かなコメントについ笑わせられる。こんなやり取りも学生時代のままだった。それだけでわたしはほっこりと嬉しくなった。


合流してすぐ、わたし達は市電に乗って五稜郭タワーへ行き、展望台へは登らずに下の階でジェラートを食べた。
「MILKISSIMO」という名前のジェラート専門店で、友達が「絶対あの味をまた食べたい!」と楽しみにしていたお店だった。数あるフレーバーの中から、わたしはティラミス味を選んだのだが、風味はしっかりあるのに甘さ控えめでさっぱりと食べやすかった。
長時間移動で疲れた体にジェラートの程よい甘さが沁みて、わたし達は噛み締めるようにゆっくり味わって食べた。


ゼミの先生とのご飯に選んだお店も、友達が学生時代に大好きだったお店。
先生は相変わらず優しくて、フワフワした柔らかい癒しオーラをまとい、人柄のあたたかさが滲み出すぎているふにゃふにゃ笑顔を浮かべていた。
お互いに近況を話し、先生にこれからのことを訊ねられたわたし達は、それぞれ順番にやりたいことを語った。

同じように海外に行こうと決意しているわたし達。でも、最終的に目指したいことややりたいことは違っていて。

先生に聞いてもらいながら、わたしは自分の進みたい道について気持ちを再確認できたような気がする。
漠然としていても、今はまだ「やってみたい」という気持ちだけしかなくても、先生はわたしの話を聞いて「素敵」「ワクワクする」と嬉しそうに言ってくれた。

「その後どうするの?」とか、「それをやる意味はあるの?」とか、「具体的にはその経験をどんなふうに今後に活かしていくつもり?」とか、まるで試験や面接のように問い質されなかっただけで、わたしはほっとした。

ああ、だからわたしも友達も、この先生のことが大好きだったんだと、今更ながらすとんと腑に落ちた。

わざわざ質問されなくても、自分の心が強く願っていることは、自分の言葉で語るうちしっかり形を成してくるものなのだ。
まるで誘導尋問のように、間違いを探そうとするかのようにあれこれ質問するのではなく、ただ、聞いてくれること。どんな言い方をしても受け止めて肯定してくれること。そうしてもらえることが、わたしの言葉に自信を与えてくれたのだ。

本当に、会いに行って良かったと思った。社会人になって大人の仲間入りをしたって、子どものように無邪気な夢物語を語ってもいいのだと、救われた心地がした。


大好きな友達と、大好きな恩師に再会できて、大好きな時を過ごした場所を巡る旅。
楽しくないはずがなく、わたしはずっと幸せ気分に浸りきっていた。
ミスドのチョコファッションを頬張りながら(食べるより喋りまくったわたし達は、先生と解散した後に小腹が空いてしまったのだ)市電を待つ時間も。
学生時代に歩いた通学路を散歩する時間も。
よく通っていた大きな蔦屋書店で本に囲まれる時間も。

何もかもが懐かしくて、愛おしくて、幸せで。
一緒に過去を懐かしんで、当時のエピソードで通じ合い、笑い合える人がいるって、こんなに嬉しいことなんだ。

最近、自分に残されたタイムリミットを測っては焦ってしまいがちだった。
でも、これから年月を重ねるほど、新たな環境で生きるほど、色々な人に出会うほど、今回のように振り返って懐かしめる機会が増えるということなのだ。

それって間違いなく素敵なことだ。
未来に待ち受けていることも楽しみだし、誰かと、あるいはひとりでも、過去を懐かしめる愛おしい時間が増えるのも楽しみだ。


旅の締めは、大好きだった懐かしの味。ご当地グルメの代表格ともいえるハンバーガー店、ラッキーピエロで遅めのランチを食べることにした。

学生時代のお決まりだったラッキーエッグバーガーを、他のメニューには目もくれず即決注文。
「あー、コレコレ、この味!」と、2人して笑顔が綻ぶ。

カラフルでゴテゴテの店内装飾に初めて来たときは驚いたけど、今ではすっかり馴染みの景色。次から次に訪れるお客さんを元気にさばいていくスタッフさん達の活気と、ボリュームたっぷりのおいしいハンバーガーで、わたし達のお腹も心も満たされた。


ガイドブックには載らないような、わたし達だけの「思い出巡り旅」。
2日間はあまりにも短く、帰りのバスで写真を眺めながら、「そういえばここも行きたかったな」とか、「あの場所も覗いてくればよかった」とか、気になるけど行けなかった場所が次々思い浮かんだ。
来年か、あるいは海外から帰ってきたときにでも、また函館に友達と一緒に来られたらいいな。
そして別の場所でも、また思い出が増えたら、こうやって懐かしみながら旅をしたい。

それまで、楽しみながら日々を積み重ねていこう。

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