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罪とは結局何なのか

 クリスチャンの方々のご相談を伺っていると、クリスチャンで人間関係が上手くいかないのって、裁くせいだよなぁと感じます。
 例えば、「偶像礼拝は罪だ!」と家の仏壇を焼いてしまったり。供養のために拝んでいた家族が大激怒して、嫌がらせをされてしまって関係が最悪になるとかね。「同性愛は罪だ!やめさせなければ!悔い改めて異性愛になれば神様も赦してくださるから、さあ!」とかね。その強要と裁くのは罪じゃないのかよ、とゲンナリしてしまいます。今時そんなの差別以外の何ものでもないですよ。
 聖書に「裁いてはいけません。」と書いてあるのは秀逸だと思います。私個人的には、裁く罪に比べたら、他の罪なんか大したことないと思いますね。あらゆる殺人や暴行など「ヒドイ」と思う罪も、「裁く罪」が関わっていることがほとんどと言えます。
 では、そもそも罪とは何なのでしょうか。私が見たところ、罪とは何か「悪いこと」だと思っているので、裁いてしまうようです。ちなみに「悪い」とジャッジすることが裁くことです。ついでにアダムとエバが最初に罪を犯した「善悪を知る知識の木の実」を食べちゃったことで、ジャッジするようになってしまいました。
 つまり、「それは悪いことだ!」とジャッジすることこそが「善悪を知る知識の木の実」の影響であり、神様が食べちゃいけない(善悪を知るようになっちゃいかん)と禁じたことなのですよ。「裁く罪」の大きさがちょっと見えましたか?
 「悪いこと」が罪なわけではないとしたら、一体罪とは何なのでしょうか。今日はそれを紐解いていきましょう。

【もくじ】
◇罪の原語は的外れ、じゃあ的って何?
◇幸せって何?
◇裁く罪を犯さないために
◇罪とは
◇罪とのつき合い方

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