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「悲しい時も、ハッピーな時も」

〜コミュニティの背景がわかる、RCCAメンバーのストーリー〜       村松 歩(RCCA副理事)

RCCA(Rugby Culture Club Association)が伝えたいものは、たくさんあって一言ではちょっと表しにくい。だけど、そのメンバー一人ひとりのストーリーを紐解けば、コミュニティーの持つ空気感やバックグラウンドが見えてくるかも。彼らはどこから来たんだろう。何を目指しているんだろう。第2回は副理事の村松歩さんに聞きました。

ーー村松さんはこれまでにも、いくつか法人を立ち上げていますね。一聡さんと一緒に始めたものも少なくないですね。
「一聡とは高校時代からの縁です。彼が久我山(國學院久我山)、僕が本郷で、東京都選抜の練習会で初めて話したのかな。大学では明治と青学で対戦相手だったのだけど、実はこの2チーム、意外に仲が良くて。僕も八幡山の明治の合宿所に何度か遊びにいきました」

ーー卒業後は、朝日生命に勤められてます。
「もう少しプレーを続けたい気持ちがありました。引退して、会社も一区切りつけて、原宿でお店を出しました。犬のアパレルブランドを。前後して、一聡もアメリカに犬のトリマーの資格を取りに行ったりしていた。ラグビー出身者としては珍しい業種だったから、たまに連絡は取り合っていた。それが、2011年から一緒に行動するように」

ーー東日本大震災ですね。
「ペットに関わる支援。それまで一聡がやっていたのは保護ペット譲渡会の『場』を提供すること。犬猫の保護、管理、譲渡を行う保護団体を取りまとめて、のちにファーマーズ・マーケットの一角で毎週、場を設けられるようになってました。僕はというと、ハワイ好きが高じて、原宿の竹下通りでハワイアングッズを扱う店をやっていた。看板犬のためにアロハシャツを作ったらそれが好評で、いつからか犬のための服を作る方が本業に。2011年で大きな揺れがあった後は、まちなかはもちろん、避難所でもいろんなことが起きていて、その一つにペットの問題があった。一緒に避難したペットの吠え声、におい。周囲の人や飼い主だけでなく、犬猫にももちろんストレスはかかっている。それをなんとか解決したり、和らげる手伝いがしたいと、東京からいろんな人を連れて行きました。画家、ネイリスト、ときにはタレントさんなんかも…。もちろんメインは物資を届けること。マイクロバスやトラックを貸してくださる方がいたおかげで、これまで東京と東北を行き来してこられました。この車両を貸してくれたのも、のべ40往復以上の運転を担ってくれたのも、じつは全部ラグビー関係の仲間だったんですよ」

ーー結構な重労働ですね。
「現地では、連れていったネイリストが、飼い主のおばちゃんたちの爪をきれいにしてあげたりして、喜んでもらえた。一瞬でもリフレッシュしてもらえたと思ってます。それでね、運転担当のラグビーの奴らって、基本、現地では何も役は与えられてない。仲間ながらすごいなと思うのは、彼ら、その場その場で自分ができること探して、何かするんですよね。知らないおばあちゃんの荷物運んだり、それこそ犬の散歩役を買って出たり」

ーー働いてないで、帰りに備えて休憩しないと!
「目の当たりにしたら、自分も何か直接したいと思うのかも。ラグビー選手って、人の役に立つことをやりがい持ってやってくれるなあと。それに、なんか使い勝手もいいなあ!(笑)って、その時に思ったんです」

TRCという、場のモデル
のちに、「ラグビー仲間どうしの内向き意識だけではなく、もっと外へ発信を」と考えるベースに、そういう印象があるのですね。ラグビーマンにはそういうマインドがあると。
「2019年のRWCに向けた動きの中で、同い年どうしのラグビーコミュニティーが活発に活動を始めた時期があります。特にさかんだったのは一つ上の学年で、45年会(昭和45年生まれの会)。花園全国大会の決勝が中止になった代。そのときに大阪工大高と茗溪学園だけではもちろんなくて、強豪校だけでもなく、広い大きなラグビーの輪を作ってみせてくれたのはありがたいことでした」

ーーSNSというツールの存在は大きかったですね。
「それが僕らの代でも盛り上がって、いろんな繋がりが持てた。楽しかったし、これからも繋がっていくと思う。ただ、局面だけを切り取ると、コレって家族に後ろめたい気持ち抱えながら週末ゴルフに行ってるお父さんと変わらないなとも感じていました。もっと、彼女や奥さんや子どもたちも一緒に楽しんだり、ラグビーやってた人以外も巻き込んでいく場を作れないかと思って、Tokyo Rugby Clubというポップアップ・イベントを開いたんです(東京・青山、commune246にて)。2019年のスーパーラグビーの開催日だったので、偶然にもサンウルブズの選手も合流してくれて、ファンも、ファミリーも隔てなく時間を楽しむ空間ができた。これをW杯後も残せたら、ラグビーも文化として日本に定着するんじゃないかと思えたんです」

ーーTRCのような場を作ることがテーマとして残ったんですね。
「それが、いろいろあって、菅平に『出会う』ことになりました。長野県上田市 菅平高原。この土地のポテンシャルってすごいよねと。ラグビーだけで年間70万人が足を運ぶ聖地、全国ブランド。そのうち30万人はチーム以外の人。選手の家族やラグビーファン、母校を応援しに来るOBの人たち。ただ、菅平は、夏については合宿をするチームのために発展してきたまちだから、山にはこうした人たちが受けられる商業サービスがなくて。たとえば宿泊も、ほとんどの人が上田や軽井沢までわざわざ山を下りていた。この人たちにもっと喜んでもらえて、土地の人もうれしいやり方がないかと。ラグビーをしてた人はもちろん、ラグビーが好きな人、応援している人たちが足を止めたり、休んだり、数日の時間を気持ちよく過ごせる場があったらいいなと。TRCはあの時だけ、東京の人にしか楽しんでもらえなかったけれど、菅平にそういうクラブハウスがあったら、毎年、全国の人に楽しんでもらえるんじゃないかと」

人として関わる。
話がそもそも、に戻るのですが。村松さんは、初めは生命保険の会社に勤めたんですよね。そこから、どうして自分でハワイのお店、犬の服のお店をと考えたのですか。
「元々はメディア志望だったんですけどね。実際に生命保険にしたのは、ラグビーもしたかったし、大きい会社に対する期待もありました。実際、仕事はすごくやりがいがありました。プレーも31歳まで続けた。だけど…特に生命保険の仕事って、人生で一番悲しい時に役に立つ仕事なんですよね。だから大事なんだけれどね。当時の自分は、もっとハッピーなところにも立ち会いたいっていう気持ちがありました。で、転職して不動産業をがっちりやりました。めぐりめぐって、今、菅平に建物を建てるにあたって役に立ってる(笑)。ハワイのお店は今の奥さんと付き合ってるときにハワイにハマって。ハワイってハッピーが充満してるじゃないですか(笑)」

ーー深掘りしてすみません、メディア、マスコミ志望の大学生だったんですね。
「中学生時代は、あんまり授業もまともに聞いてないような子だったんですよ。机にいる間はずっと本は読んでて。先生が『マンガ読んでるのか』って言うからタイトルを見せたら、『村松はそのまま読んでてよし』って(笑)」

ーーどんな本が好きだったんですか?
「その頃は、海外の純文学が好きだった。ヘミングウェーとかサリンジャー、カフカとか…。あとは歴史小説も読み漁ってたので、場合によっては歴史の先生より詳しかったり。先生を指摘して言い負かすような嫌な子どもでした(笑)」

ーーエッ。
「父が出版社の文芸局に勤めてたので、家に本だけはたくさんあったんです。家に作家さんが来ることもありました。池波正太郎さん、伊集院静さんとか。」だけど授業聞いてなくて本ばっかり読んでたから文系科目しか出来ない。受験では3教科で受けられるとこはどこか、ってなって(笑)。選んだのが本郷高校でした」

ーーそこでラグビーに出会うんですね。
「それまでスポーツは小学校の時にリトルリーグやって以来とくに何にもやってないのに、友達に誘われて入って。その友達はあっという間にやめちゃって。1年生のはじめは80人いたけど、3年の引退時まで続けたのは14人でした。あの時代の、あるあるですよね。考えてみれば、そりゃ内向きの絆は強くなりますよね。決してメジャースポーツではないという複雑な心理もきっとある」

ーーそれでいて、居酒屋でラグビーをやっている若者を見つけると…。
「そうそう、別に同じチームの子じゃなくても、つい一杯ご馳走したくなる。今のラグビーってまた、僕らがやってきたラグビーとは全然違うしね。現役選手に対する密かなリスペクトみたいなもの、僕らみんなにあるんじゃないかな」

ーーまた話が戻るんですが、最初の転職の思いは「人生のハッピーな時に立ち会いたい」でした。今、RCCAではクラブハウス建築だけではなく、「魔法のやかん基金」の事業も柱に据えています。これって、全然ハッピーな時ではないですね。むしろ、人生の試練、危機。今またそのジャンルで、中心になって事業をドライブしようとしている。
「エッ。そう言われると確かに…。うーん。会社を辞めた三十過ぎと、今も感覚はそんなに変わらないんですけどね。ぐるっと回って、今はまた見え方が変わっているのかも。そうだね、一つ言えるのは、あの時はあくまで仕事についてものを言っていたけれど、今は人として関わろうとしていること、でしょうか。みんなで外を向いて、ハッピーな時は分け合いたいし、たいへんな人がいれば自分にできることを探したいですね。これ、ラグビーのオジさんは、多かれ少なかれ、みんなそうだと思う」

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