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四字熟語(造語)に御用心!?—「客観写生」「花鳥諷詠」「二物衝撃」

このところ年齢も定年秒読みの微妙なところに入ってきたので、いろんなことに不満をもったり、腹を立てたりすることが多くなりました。でも生命力みたいなことものはむしろ落ちてきてるので、エキサイトすることは滅多にないんですけどね。

理屈でものを判断する人も嫌いになりました。RCも負けずに理屈っぽいんですが、理屈で世の中は動かないってことを嫌というほど思い知らされてきたので、その辺の分別は身につけてきたつもりです。

たとえば、会議や打ち合わせで、経済理論やマーケティング理論の用語を使って話をリードしようとする人。まあ説得するツールとして割り切って用いているのならわかりますが、どうもそうでもない様子。経済学者が世の中の動きを正確に予測したことなんてあるんでしょうかね。

これがパラドックスで、現実を分析して打ち立てた理論を、今度は逆に現実を動かすための武器にしようというんですから、そもそもひっくり返った所業です。短期的な予測や利益追求なら役立つんでしょうけどね。

前置きが長くなりましたが、俳句にあてはめていえば、指導者層が唱える、というか初心者を言いくるめるツールにしている、四字熟語(造語)がとても気になるのです。

代表的なものは「客観写生」「花鳥諷詠」「二物衝撃」でしょう。

前者二つは既にいろいろ批判され、それでも実はそんな意味じゃないと反論し、現在も生き続けている言葉です。最後のは、若い人の口から聞いたこともあり、かなり流布しているようです。

その意味するところに異論はありません。しかし、言葉は一人歩きするし、人を縛ります。バブル時代は、体裁のいいキャッチフレーズで、どんなにか人々が騙されたことか。

「客観写生」は、たとえば「よく見て、感じたことを伝えられられるように的確な言葉を選びなさい」ではいけないんでしょうか。

「花鳥諷詠」は、たとえば「季語、季題との出会いを味わい、その世界に浸って自らを見つめてみよう」ではいけないんでしょうか。

「二物衝撃」は、たとえば「取り合わせはいい句を作るコツですからやってみるといいですよ。その響き合いを感じてみましょう」ではいけないんでしょうか。

まだるっこしいですか? でもこれが本当の指導ですよね。

これらの造語を思いついた人は、作句の精神、骨法を表すいい言葉を思いついたと思って、使い始めたのでしょう。時には政治的な手段として。しかしそれが人々を縛り、結果として、いらぬ争いさえ生んできました。

キャッチフレーズでごまかしてはいけません。そのしっぺ返しは、俳句の衰退としてやってくるのです。現にそうなりつつあります。

長くなりました。四字熟語(造語)にはくれぐれもご注意を。

RC

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