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夫婦別姓ってそんなに大変ですか? お役人さん!

今日は夫婦別姓について考えてみようと思います。世間の論議は、賛成も反対も、完全に的外れなので。

何がおかしいかというと、戸籍や子育てに関わる制度的問題と、男女差別の文化的問題を区別していないから、全く議論にならないのです。

国会の「だったら結婚しなければいい」という野次が問題になりましたね。野次った人は勇気ある人だと思います。名乗り出て、論陣を張ればよかったのです。

「この少子化時代を乗り切るには、姓のことで結婚に躊躇する人が、非婚カップルとして子育てを普通にできる世の中にするのが一番だ」と。

そう、これが本当の政治ですよね。多分、野次った人は、そこまで考えが至らず、理論武装できないと判断して、隠れてしまったのでしょう。

RC自身のことをいうと、男性であり、二男である私は、子供の頃、将来お婿さんに行ってどういう姓になるのか、夢想して楽しんでいました。いろんな組み合わせで、呼び易いとか、字面がいいとか、ほんとにたわいもないことです。

まあ、楽しみにするかは別として、これ、昔の子沢山の時代なら、ある程度の確率でこうなるはずなんですよね。RCの父親も入婿でしたし、こんなこと何の抵抗もなかったわけです。

要は、核家族化で、感覚がおかしくなってしまったんでしょう。夫婦2人で籍を作るとき、どちらの姓とするか。本来ならジャンケンでも決めればいいくらいのことです。実際そんな人もいたみたいですが、案外的を射た判断ですよね。

だけどここに文化の問題が絡んできて、厄介なことになります。暗黙のうちに男性の姓を名乗らされた、という女性が多いのでしょう。これもまた根の深い問題で、慣習や伝統的な意識は、正当な話し合いをスポイルしてしまいますから。

本当はここにもっと違う理由があって、例えば本家を長男が既に継いでいる場合、妹でも姉でも女性が結婚して、その夫が女性側の姓を名乗ることは、世渡りの上で大変危険なことになります。本家に一財産でもあれば、もともとある争いの種を大きく育ててしまいかねません。

ただ、本家の夫婦に子供ができなかったとき、分家の子に本家の姓を名乗らせるということも、昔はよくあったみたいですね。

封建的な家制度と、戸籍制度、そして子沢山という状況、そして伝統的な男女間の意識が機能しているうちは、問題は表面化しなかったのでしょう。ある意味いい加減なやり方も通用していたかもしれません。

でも、今は違います。核家族であり、少子であり、本来あるべき男女同権の考えが一般的となり、結局のところ、制度が追いついていきません。

歴史の流れからいって、選択肢として夫婦別姓を可能とする制度を確立することは、必然です。でも、役人はやりたくないでしょうね。全く齟齬のない制度を作るのは困難を極めますから。ここで、保守系の政治家が文化的なアンチを言い張って頑張ってくれているのは、好都合なんでしょう。

あの野次騒動は、かえって論議の本質に入ってしまい、不都合なので封印してしまった、とも考えられます。

推進派も、本当のところを突いていかなければ、保守派の思う壺ですね。それを防ぐには、男女差別の問題もさることながら、家族というものを、ひいては人間が形作る社会をサスティナブルなものにするための切り札として、選択的夫婦別姓をアピールすべきなのです。

そうして役人たちを、奮い立たせるのです。これは国家百年の計の一環として、自分たちの世代でやり遂げないといけない責務なのだと。

現状では、議論がこんがらがってしまって、前に進みません。どうしたら議論が整理できるのでしょうね。スパッと言い切ってくれるスター論者でも出てしてくれるといいんですけどね。でなければ、このnoteを読んでくれたあなたが、身近な人とこの問題について語り合ってくれるというところから、変わっていくのかもしれません。

別姓でも、同姓でも、全てのカップルに、幸あれ。

RC


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