天才より秀才が勝ちやすい世の中

こんにちは。

この記事では(麻雀に限らずですが)最近の世の中の傾向として、天才より秀才が勝ちやすく(やりやすく)なっている気がするので、その背景について書いてみたいと思います。

まず、この記事における天才・秀才の定義ですが、天才:(ゲームなどの)攻略法を自分で発見できる人、秀才:攻略法は自分で発見できないが、それを教えてもらえれば理解や吸収はできる人、とします。

麻雀において、科学する麻雀が出版されるまでは、攻略法というのは自分で発見するしかありませんでした。それ以前にも戦術本は数多くありましたが、今の眼から見ると統計的な裏付けがなく個人の少ない経験を基に書かれていたので、不正確な内容がほとんどでした(私は当時から戦術書を結構読んでいたおかげで?随分ツラい目に遭いました。。。)。

なのでその時点で麻雀が強かった人というのは、天才:自分でできるだけ多くの攻略法(例えば愚形でもドラ1ならリーチ等)を発見してそれを徹底できる人だったと思います。

しかし科学する麻雀以降は統計的にも裏付けがある、有用な戦術書や記事が多く出版されました。こうなると有利なのは秀才:そういった情報をできるだけ多く読んで理解・吸収できる人です。例えば天才が10の攻略法を発見したとしても、秀才が本を読めばそれ以上の数の(例えば30の)攻略法が身につくわけですから、本を読まない天才は秀才に負けてしまうわけです。

このような変化は麻雀に限らず、投資・転職等の情報にも起こっていると感じてますが、その背景はやはり有用なコンテンツを作る人が(たとえその人が無名であっても)Youtubeやnoteというプラットフォームで報われるような世の中になってきたからで、これらのプラットフォームはそういう意味でも世の中を変えていると思います。攻略法を見つけ出す才能がなくても、正しい方向に努力さえすればそれなりに強くなれる、天才にとってはつまらないが秀才にとっては努力が報われやすい、そんな時代になっているのかもしれません。


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