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自分と向き合うとは弱さを自覚することだ

みなさんは、自分と向き合うことがありますか?

うーん、自分と向き合うって何だろう?

そんな声が書いている今にも聞こえてくる気もします。

すごく聞き慣れたような言葉であるものの、すごく抽象的な質問ですよね。

書きながら自分でも難しいなと思います。

なので、ここから書くことは完全に自分の個人的な解釈になります。

絶対的なことでは全くないので、こんな風に考える人もいるんだなぁと思っていただけたらと思います。

特にタイトルの弱さに関しては、強さという比較の対象が個人で違います。

書いてみてからここに気づきました。

誤解を与える表現でもあるので。


では、本文に入ります。



自分と向き合うってことを言語化すると、おそらく様々な具体があると思うのですが、

自分は

「自分と向き合うこと」=「自分の弱さを自覚する」


ことがその具体の中の1つだと考えています。

要するに、言い訳している自分や誤魔化している自分に気づくということでもあります。


言いかえれば、自分の中にある「ずるさ」、「傲慢さ」、「怠け心」など負の部分に目を向けるなどとも言い換えることができるかもしれません。

さて、このように解釈したとしたら、

みなさんは1日に何度自分と向き合っていますか?
自分の弱さをどうやって自覚していますか?


これってめちゃくちゃ難しいことだと自分は思っています。


1日に何度もできる人がいたら本当にリスペクトしたいくらいです。

なぜなら、これは自然に行うことが難しくて、そこに自ら意識的にならなければならないからです。

つまり弱さに対して自ら自覚的になることが多くの場合で必須になってくるからです。

というのも、自らももちろん含めてですが、人間は誰もが

「無限言い訳製造マシン」


とか

「自己正当化クリエイター」


とかの異名を名乗れるくらい、弱さを認めたり、受け入れたりすることが苦手で、自分自身を正当化するために、様々な視点や要素から言い訳を創り出す天才だと思っています。

要するに

すぐ言い訳をして環境や誰かのせいにしがちだということです。


自分自身もそうなので、これ自体を全て悪いと言うつもりはないですし、自分のことを自分で貶めることを誰もが避けたいのは当然のことだと思います。

ただ、自分の弱さをどこかで受け入れて認めないことには、現在置かれている状況に不満があったとしても、その現状は打破できないのは知っての通りですよね。


もちろん別に不満もないし、打破したくない人にとっては関係のないことかもしれませんが、人生の全てに満足している人なんていなくて、多くの人が自分の人生を今よりもよりよく豊かにしていきたいのではないでしょうか。

例えば、

ダイエットしたい!痩せて理想の体型に近づきたい!そしてモテたい!


と思っているのに、
運動を全くせずにゲームやマンガなどに時間を使い、好き放題にカロリーの高い食べ物や甘いものを食べたり、お酒を飲んだりしている人がそれを実現できる可能性は限りなくゼロに近いことは誰もが分かります。

また、これを指摘されることに対して過敏に反応してしまい、

自らもそれだけが理由ではないと自覚しながらも、

「忙しくて運動する時間がない」


「ストレスが溜まっているから発散のために食べちゃうのは仕方ないんだ」


と感情的に自分を正当化することに走ってしまうのです。

おそらく痩せたいけれど、そこに焦りを感じることもなく、そんなに強く思ってない人は、理由は述べつつも感情的にならないと思います。

ま、これを指摘する人もどうかとは思いますけどね。

(自分もこの文章を書いておいてなんですが気をつけます)

とにかく現状を変えていくには、自分の弱さを自覚して、そこを乗り越えて行動していくことが必要だと思います。


さてさて上記の例は自分でもよくあります。
思い通りにならないことに対して、環境のせいにしたり、自分に逃げ道をつくったりすることは日常茶飯事なのです。

あまり具体を出すのは憚れますが、ここ最近のコロナ禍での様々なことに対して、気がつくと環境や誰かのせいにして言い訳をしている自分がいます。


では、

どのようにして自分と向き合えば良いのでしょうか?
どうやって弱さを自覚すればいいのでしょうか?


自分が考えてることは至ってシンプルです。


「負荷をかけるのか、かけないのか」の選択をする機会を設ければよい

のです。


ここからは、毎度のことですが、筋トレの話で具体化していきたいと思います。

要するに、自分は自分と毎日向き合う手段として、筋トレを使っているということです。

読者はご存じの通り?自分自身は毎日筋トレをしています。

勘違いして欲しくないのは、筋トレ自体はいくら長いことやっているからと言っても決して楽ではありませんということです。

そして、

自分だって面倒くさいなと思う瞬間は正直あります。


つまり、これだけの期間、筋トレを続けてきたとは言え、葛藤は少なからずあるということです。

特に冬の寒い朝に毎日4時台に起きて5時からジムで筋トレしていた数ヶ月前なんかは、まだ眠いのに暖かい布団からわざわざ出て、ジムにトレーニングに行くというのは、自分の心身にとっても生半可なことではありません。

もちろん約1時間のトレーニングの後に仕事に行っているわけですからね。


(現在は緊急事態宣言のため、1ヶ月以上ジムが休業していて行けませんが)


話は戻って、

毎日筋トレするということは、「負荷をかける、負荷をかけない」の選択がそこにあり葛藤が生まれます。


なぜか?


それは負荷によって自分の弱さが露呈してくるからなのです。

さらに早朝だと、眠さや寒さという負荷が上乗せされます。


眠いから起きたくない

寒いから布団から出たくない

この後の仕事で行事あるからな

で続く言葉が


「今日くらいやらなくてもいいんじゃない」


これらの悪魔のささやきが、布団の中の寝起きの自分にずっと聞こえてくるわけです。

そこで、行うか行わないかの選択をするわけです。

毎朝に筋トレ行うことを自分に課しているため、

否が応でも弱さと向き合って選択する機会が毎朝にあるわけです。


自分の発する文章なので、自分を正当化しているのは認めつつ書きますが、
自分自身は、この機会に「筋トレを行う」という選択を200日以上続けてきたことで、体型が大きく緩むことなくボディメイクできている今があります。


それによって

自信をつけた自分がいます。


ただ、これが全てを賄ってくれる訳ではなくて、もっと向き合う場面を、弱さを自覚する場面を増やしていかなくてはいけないなと思うことが最近はあります。

そして、ここまで書いてきて思うのが、この記事は自分を励まし、奮い立たせるために書いた記事だということにも気付きました。


というのも、やはり現状にまだまだ多くの不満があって、それを打破するために、言い訳をしている弱い自分に向き合う場面を増やす必要があると思うからです。
この記事にも書いてあるようにコロナ禍でそこが浮き彫りになっているのですからね。


どんな風になるかは、分かりませんが筋トレで得た経験もうまく役立てながらやっていけたらなと思います。



では、ここまで長文を読んでくださり、ありがとうございました。

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