アート&ブレイン~右脳で絵を描く講座に行ってきた①(プロローグ)
今日から金曜日まで、「右脳で絵を描く」がテーマの絵画講座「アート&ブレイン」の5日間集中講座に参加します。
参加したくなった理由は、小野美由紀さんのこのブログ。 「見ることは生きること―「脳の右側で描け」のワークショップに参加した」
私の動機は、別に絵がうまくなりたいわけでもなんでもなく、ただ単に「集中したい」だった。
あとひとつ言うと、「言葉でうまいこと言うのに躍起になってるせいで、私はいろんなものを見落としてるのではないか? せっかく目の前にある豊かな世界の豊かさをドブに捨ててるんじゃないか?」という疑問が最近頭をもたげていたので、「右脳で描く」がテーマのこの講座は自分にとって大変タイムリーだった。
宿題が、「自分の手と、部屋の隅と、顔を各20分程度で描く」というものなので、今朝描いてみた。
ここからどれだけ上手くなるか楽しみだ!
しかし20分じゃなんにも見れない。自分のあまりの見れなさに絶望して、筆を投げそうになった。
「私の手はこんなに可愛いのに私はこの可愛さを全然写し取れない!」と思ってしまったのだ。
世界はこんなに複雑なのに、私が世界を見る目はあまりに雑だ。
それはつまり、私が普段世界を見るのに使っている道具「言葉」の雑さと直結する。
自分の手さえ、20分かけてもまともに描けないクセに、一瞬で「手」とか言えちゃうのが言葉だ。
そして、自分の手のこともまともにわかってないのに、「男は」「女は」と、全人類の半分を雑にくくって物を言えてしまう、言葉というものは、どれだけ暴力的なんだろう?
そんな無力で暴力な言葉でせめてものできる誠意な表現が「比喩」なのかもしれない。
言葉でしか世界を認識できない私たちが、さらにもう一つ言葉の層を重ねて世界を語る。そのことで少しだけ、言葉の暴力を、言葉の力で相殺できる。
小説は、物語は、テーゼの比喩だ。
こんなことを考えながら、絵の講座に向かう。
スキを押すと、短歌を1首詠みます。 サポートされると4首詠みます。